大学受験を終えた人の中には「意外と受かるもんだ」という感想を抱く人がいます。
受かるかどうか不安だったけど、蓋開けたら普通に受かっていたパターンですね。
当然ですけど、これは結果受かっていたから言えるわけですよね。
不合格ならこんなことは絶対に言えない訳なので。
つまり、"意外と受かる"という感じ方自体が結果ありきになっているということです。
でも、これって信じて良いのでしょうか?
本当に"意外と受かる"ものなのでしょうか?
"意外と受かる”のかどうか、これは分からないです。
というより、何とも言えないです。
「意外と受かる」と感じた人もいれば、結果次第では「意外と受からない」と感じる人も当然います。
全てが結果からの後付けの感じ方である以上、どちらとも断定はできません。
ただ、1つ言えることは"意外と受かる"という言葉は真に受けるべきではないということです。
あなたが無事合格した後にそう感じるのは問題ありません。
僕が言いたいのは、受験前、つまり受験勉強の段階で"意外と受かる"ものだと真に受けるのは止めた方が良いということです。
これは完全に足元をすくわれるパターンです。
"意外と受かる"ものであるかどうかは受験を終えてから判断しましょう。
今回は"意外と受かる"という言葉を真に受けるべきではない理由について説明します。
この言葉は場合によっては”悪魔のささやき”としてあなたを不合格の沼へ突き落しかねません・・・
「意外と受かる」は真に受けるべきでない
【前提】受験勉強は一抹の不安を抱えているくらいで丁度いい
一見この記事とは関係ないように見えるかもしれませんが、なんならここが一番重要です。
これ以降の話全てに連なり、ここをしっかり理解してもらえるかどうかで今後の話の伝わり方が大きく変わると思います。
心配性とか不安って言葉は、もしかしたらあまり良いニュアンスで聞こえないかもしれません。
でも、受験においては前向きに捉えるべき言葉です。
例えば、志望校の合格に不安があるとしましょう。
不安に駆り立てられたら、落ちたくないから神経質になって勉強します。
そこに妥協とか手抜きは生まれないでしょう。
必死にやらないと不安を打ち消せない訳なので。
しかし、どこまで行っても不安が0になるということは無いかもしれません。
それでも不安を打ち消そうと勉強するわけです。
勉強しないと気が気じゃない、どこまでやっても不安が付きまとう。
このような心境であれば、妥協も手抜きもせず詰めの詰めまでしっかり勉強する気になるでしょう。
受験勉強の姿勢的にこれは重要です。
その姿勢は勉強精度の高さへの拘りに繋がり、その拘りは日々の勉強の意識に繋がり、その意識は最終的に成果に反映されます。
高い精度で勉強し続ける上では、楽観よりは若干悲観くらいが丁度良いってことです。
これを踏まえて以降を読んで貰えるとすんなり入ってくると思います!
⇩学習精度への意識が成果に繋がっている話⇩
悪魔の囁きとしての機能
受験を首尾良く終えた人は「意外と受かる」と感じがちです。
しかし、これは冒頭でお伝えした通り結果論から来る感じ方に過ぎません。
その人たちだって、受験が終わるまで必死に勉強してきたはずです。
「大丈夫、意外と受かるもんだろうし」なんて余裕かまして勉強していたなんてことはないでしょう。
つまりそれは、必死に受験を終えるまで勉強した結果として出てくる言葉なんですよね。
"意外と受かる"という言葉だけ切り取ってしまうと、それは悪魔の囁きになります。
この言葉の裏側までしっかり汲み取らないといけません。
別の状況に置き換えて考えてみると分かりやすいかもしれません。
例えば、あなたにとって超難しいテストがあったとします。
このテストを天才A君は「簡単だったよ」と言っています。
きっとあなたはこう思うのではないでしょうか?
「いや、それはお前が頭良いからだよ!全然簡単じゃねえよ!」って感じると思いませんか?
原理としてはこれと同じですね。
言葉の表面だけを見ても、背景であったりとかを汲み取れないと本質は理解できません。
必至な勉強の末に合格を勝ち取ったという背景を無視して"意外と受かる"という言葉を表面的に受け取った時、何が生まれるでしょうか?
油断や甘えです。
これらは不合格への入り口だと思ってください。
"意外と受かる"という言葉が油断や甘えを生んでしまうのは何故か?
そして、それが何故不合格の入り口なのか?という点についてはこれから説明します。
悪魔の囁きとして機能することがある、ということだけまずは覚えておいて下さい。
油断・甘えに繋がり、不合格への沼に落ちる
”意外と受かる”という言葉が油断や甘えを生む悪魔の囁きになりかねない、そしてそれらが不合格への入り口であるということを先ほど説明しました。
ここでお伝えしたいことは2つです。
・何故油断や甘えが生まれるのか
・何故それらが不合格の入り口になるのか
”意外と受かる”って真に受けてしまった場合、「あ、受験てそんなもんなんだ」と感じることでしょう。
自分が思っているよりも受かりやすいものなんだという姿勢自体が油断であり、その油断は日頃の取り組みに対して甘えを生みだします。
受験勉強は面倒臭かったり、しんどい時もあります。
やりたくないな~、手を抜きたいな~と思う日もあるでしょう。
そんな時は自分を甘やかしたくなるのが人間です。
そして、自分を甘やかしても良い口実を勝手に頭で探し出します。
”意外と受かる”って言葉を表面的に受け取っていた場合、自分を甘やかす都合の良い口実なんて簡単に見つかります。
「まあここまではやらんでも良いか。意外と受かるもんらしいしな」みたいなイメージですね。
このような油断や甘えは一度芽生えると、断ち切るのが難しいです。
自分を甘やかすのが当たり前になり、徐々に徐々に甘やかしが侵食し始めます。
甘えにより本来やっておくべきことを十分にやらずにズルズルと受験まで行き、不合格が待っているというオチが待っています。
基本的には自分に厳しくない受験生は十中八九落ちる傾向が強いです。
そこに自ら突っ込んでいって不合格への道を歩むことになるということです。
⇩沼にハマって自分を甘やかすと後から後悔しますよ⇩
受かってから発するべき言葉
受験が意外と受かるものなのかどうかなんて、受験勉強中は気にするべきではありません。
冷静に考えれば、どうでも良いことなはずです。
意外と受かるのかは、あなたが受験を終えないと分かりません。
全ては結果に付随した感じ方です。
もし晴れて合格したなら何とでも言ったらいいと思います。
でも、受験勉強中に”意外と受かる”かどうかなんて考えても、百害あって一利なしです。この表現がぴったりです。
不要な油断や甘えしか生み出しません。
自信というよりも慢心です。
良いことは1つもありません。
もし本気で合格したいなら受験が終わるまで、頭の片隅からも消し去る事をお勧めします。
さいごに
「意外と受かるもんだよ」と言えるように頑張ろう
”意外と受かる”かどうかは今考えても仕方ありません。
どうやったって知りようがないわけですし、寧ろ害しかありません。
そんなことに時間や頭を回すくらいなら、普通に勉強するほうが遥かに有意義です。
まあ、言わなくても分かっていらっしゃるかとも思います。
あなたが受験を終えて「意外と受かるもんだ」と感じるためには合格するしかありません。
合格するためには勉強するしかありません。
頑張ってください。