「意外と受かるもんだ」
大学受験を終えた人の中には、
こういう感想を抱く人がいます。
受かるかどうか不安だった。
けど蓋を開けてみたら、
普通に受かっていたパターン。
当然ですけど受かっていたからこそ、
こんなこと言えるわけですよね。
不合格ならこんなことは、
絶対に言えない訳なので。
つまり・・・
"意外と受かる"という感じ方、
それ自体が結果ありきになっている。
でも、これって信じて良いのでしょうか?
本当に"意外と受かる"ものなのでしょうか?
"意外と受かる”のかどうか、
これは分からないです。
というより何とも言えない。
「意外と受かる」と感じた人もいれば、
結果次第では「意外と受からない」と、
感じる人も当然います。
全てが結果からの後付けの感じ方です。
なので、どちらとも断定はできません。
ただ1つ言えることがあります。
受験が終わるまでは、
"意外と受かる"という言葉を、
真に受けるべきではないということです。
あなたが無事合格した後に、
そう感じるのは問題ありません。
しかし受験前つまり受験勉強の段階で、
"意外と受かる"ものだと真に受けるのは、
止めた方が良いということ。
これは完全に足元をすくわれるパターン。
"意外と受かる"ものであるかどうか。
それは受験を終えてから判断しましょう。
今回は"意外と受かる"という言葉を、
真に受けるべきではない理由について説明します。
この言葉は場合によっては、
”悪魔のささやき”として、
あなたを不合格の沼へ突き落しかねません・・・
・「意外と受かるんじゃね?」と思ってるあなた
・もしかしたら危険兆候かもよ・・・
この記事の信ぴょう性
「意外と受かる」と思ってる人は大概やばかった
僕は今、受験指導をしています。
例えばその内の一つはこれ⇩
他にも早大プレや慶大プレで一桁や、
予備校に行き続けて偏差値45から、
3か月弱で慶應合格するなど。
※この方々の模試成績や合格体験記はこちら
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受験生を教える立場にいると、
当然相談をもらう機会は多いです。
その中で「意外と受かる」と、
思っている人も見てきました。
もしくは「意外と受かる」と、
思ってきたけど受験が近づいて、
その認識の危うさに気づいた、
という人も大勢いました。
どちらにも共通していることは、
余裕で成績ヤバイ人が大半ってこと。
そりゃ成績がヤバい人だからこそ、
「意外と受かる」って、
自分に言い聞かせているのかもしれません。
でも成績が振るわないってことは、
勿論不合格への見込みが強いってこと。
不合格への見込みが強いまま、
受験に挑むことになれば、
相応の結果を覚悟しなければいけない。
そういう人たちを教えた中で、
感じてきたことや、
実際に伝えてきたことを、
本記事にはまとめています。
だからもしもあなたが、
「意外と受かる」と考えているなら、
これから自分にどう向き合うべきか、
この記事を通して良く分かるはずです。
ちなみに僕の教え子たちが成績爆上げした、
誰でもマネできる”英語勉強マニュアル”を、
公式ラインにて無料配布中です。
「意外と受かる」もクソもなく、
受かるべくして受かってください。
「意外と受かる」は真に受けるべきでない
【前提】受験勉強は一抹の不安を抱えているくらいで丁度いい
まず初めに前置きをさせて下さい。
一見この記事とは、
関係ないように見えるかもしれません。
けど、なんならここが一番重要です。
ここをしっかり理解してもらえるかどうか。
それ次第で今後の話の伝わり方が大きく変わると思います。
心配性とか不安って言葉は、
あまり良いニュアンスには、
聞こえないかもしれません。
でも受験においては、
前向きに捉えるべき言葉です。
例えば志望校の合格に不安があるとしましょう。
不安に駆り立てられれば、
落ちたくないから、
躍起になって勉強します。
そこに妥協とか手抜きは生まれないでしょう。
必死にやらないと不安を打ち消せない訳なので。
どこまで行っても不安が0になる、
ということはないかもしれません。
それでも不安を打ち消そうと、
少しでも解消すべく勉強するわけです。
勉強しないと気が気じゃない。
どこまでやっても不安が付きまとう。
このような心境であれば、
妥協も手抜きもせず、
詰めの詰めまで、
しっかり勉強する気になるでしょう。
受験勉強の姿勢的にこれは重要です。
その姿勢は勉強精度の高さへの拘りに繋がります。
その拘りは日々の勉強の意識に繋がり、
その意識は最終的に成果に反映されます。
高い精度で勉強し続ける上では、
楽観よりは若干悲観くらいが丁度良いってこと。
これを踏まえて以降を読んで貰えると、
すんなり入ってくると思います。
・成績が伸びない人は確実に学習精度が低すぎる⇩
浅すぎる!成績伸びない人は例外なく「学習精度に対する基準」が低すぎる件について
悪魔の囁きとしての機能
受験を首尾良く終えた人は、
「意外と受かる」と感じがちです。
しかし冒頭でお伝えした通り、
これは結果論から来る感じ方に過ぎません。
その人たちだって受験が終わるまで、
必死に勉強してきたはずです。
「大丈夫、意外と受かるもんだろうし」
こんな余裕かまして勉強していた、
ということはないでしょう。
つまりそれは受験を終えるまで、
必至に勉強した結果として、
出てくる言葉なんですよね。
"意外と受かる"という言葉。
これだけ切り取ってしまうと、
それは悪魔の囁きになります。
この言葉の裏側まで、
汲み取らないといけません。
別の状況に置き換えて考えてみると、
分かりやすいかもしれません。
例えばあなたにとって、
超難しいテストがあったとします。
このテストを天才A君は、
「簡単だったよ」と言っています。
きっとあなたはこう思うのではないでしょうか?
「いや、それはお前が頭良いからだよ!」
「全然簡単じゃねえよ!」
って感じると思いませんか?
原理としてはこれと同じですね。
言葉の表面だけを見ても、
背景であったりとかを汲み取れないと、
本質は理解できません。
必至な勉強の末に合格を勝ち取った。
この背景を無視して、
"意外と受かる"という言葉を、
表面的に受け取った時、
何が生まれるでしょうか?
油断や甘えです。
これは不合格への入り口になります。
"意外と受かる"という言葉が、
油断や甘えを生んでしまうのは何故か?
そして、それが何故不合格の入り口なのか?
この辺についてはこれから説明します。
”悪魔の囁き”として機能することがある。
これだけまずは覚えておいて下さい。
油断・甘えに繋がり、不合格への沼に落ちる
”意外と受かる”という言葉。
これが油断や甘えを生む、
悪魔の囁きになりかねない。
そしてそれらが不合格への入り口である。
先ほどはこういったことを説明しました。
ここでお伝えしたいことは2つです。
・何故油断や甘えが生まれるのか
・何故それらが不合格の入り口になるのか
”意外と受かる”と真に受けてしまった場合、
「あ、受験てそんなもんなんだ」と感じるでしょう。
「自分が思っているよりも受かりやすいものなんだ」
この姿勢自体が油断であり、
その油断は日頃の取り組みに対して、
甘えを生みだします。
受験勉強は面倒臭かったり、
しんどい時もあります。
「やりたくないな~」
「手を抜きたいな~」
そう思う日もあるでしょう。
こんな時は自分を甘やかしたくなる。
それが人間です。
そして自分を甘やかしても良い口実を、
勝手に頭で探し出します。
”意外と受かる”を表面的に受け取れば、
自分を甘やかす都合の良い口実なんて、
いとも簡単に見つかります。
「まあここまではやらんでも良いか」
「意外と受かるもんらしいしな」
みたいなイメージですね。
このような油断や甘えは、
一度芽生えると断ち切るのが難しいです。
自分を甘やかすのが当たり前になり、
徐々に徐々に甘やかしが侵食し始めます。
甘えにより本来やっておくべきことを、
十分にやらずにズルズルと受験まで行き、
不合格が待っているというオチ。
基本的には自分に厳しくない受験生は、
十中八九落ちる傾向が強いです。
そこに自ら突っ込んでいって、
不合格への道を歩むことになるということ。
自分を甘やかすと後から後悔しますよ。
⇒【世の中厳しい】大学受験甘く見てない?みんな受験終わってから気付くんだよね。。。
受かってから発するべき言葉
意外と受かるものなのかどうかなんて、
受験勉強中は気にするべきではありません。
冷静に考えれば、
どうでも良いことなはず。
意外と受かるのかは、
あなたが受験を終えないと分からない。
全ては結果に付随した感じ方です。
もし晴れて合格したなら、
何とでも言ったらいいと思います。
受験勉強中に”意外と受かる”かどうか考える。
まさに百害あって一利なし。
この表現がぴったりです。
不要な油断や甘えしか生み出しません。
自信というよりも慢心です。
良いことは1つもありません。
もし本気で合格したいなら受験が終わるまで、
頭の片隅からも消し去る事をお勧めします。
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「意外と受かる」これ自体は間違いじゃない
間違いじゃないけど・・・
「意外と受かる」という認識の危うさ。
それをここまで伝えてきましたね。
だけど「意外と受かる」ということ自体が、
全面的に間違ってるわけじゃないんです。
確かに僕自身そう思いました。
skinをハゲと訳す英語
ノータッチだった世界史
ここから浪人して、
2か月で慶應法A判定が出て、
法・経済・商に受かった。
「あーこんなもんなんだ」
こう感じたのは事実です。
>>「え、まだ慶應A判定出てないの?」1~2か月ありゃ誰でも取れるのに・・・
僕がこれまでに教えた人も、
きっとそう感じたことでしょう。
例えばこれは昨年の話ですが、
年末から教え始めた方がいます。
模試ではE判定。
過去問も12月で合格点未達。
12月下旬になって僕にお声掛け頂いた。
そこから教え始めてちゃんと合格した。
※この方について詳しく知りたければ、
やってたことなどをお伝えします。
ほんの2か月前まで絶望していて、
そこから逆転で受かったのですから、
「意外と受かる」と感じたかもしれません。
だから確かに意外と受かるもの、
という見方も成立します。
だけど勘違いしちゃいけない。
僕も僕の教え子も「意外と受かる」は、
あくまでも結果論でしかないからです。
絶望的な状態だからと投げやりになるでもなく、
出来ることに手の抜いて中途半端にやるでもない。
「意外と受かるもんだから~」と、
自分に言い聞かせてやってたんじゃないんです。
今目の前のやるべきことをしっかりやって、
そこをやり切った先に結果論として、
「意外と受かる」が待っていたに過ぎません。
ここまで何度も繰り返してきましたが、
「意外と受かる」は結果論。
そこまでの過程で手を抜けば、
受かるものだって落ちてしまう。
だから「意外と受かる」などと考えず、
今できることをちゃんとやっていく、
ということが大切ですね。
さいごに
「意外と受かるもんだよ」と言えるように頑張ろう
”意外と受かる”かどうか。
これは今考えても仕方ありません。
どうやったって知りようがないし、
寧ろそれを考えて生まれるのは害のみ。
そんなことに時間や頭を回すくらいなら、
普通に勉強するほうが遥かに有意義です。
そんなこと百も承知でしょう。
あなたが受験を終えて、
「意外と受かるもんだ」と感じるためには、
合格するしかありません。
合格するためには、
勉強するしかありません。
頑張りましょう。
⇒【5分で解決】成績足りないのに勉強に身が入らない・やる気が出ない時はこちら
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