僕は日頃から大学受験に関する質問を頂いたり、受験指導をさせて頂いています。
そんな背景もあり数多くの受験生との接点があるのですが、そこで1つ明確に分かったことがあります。
それは「学習精度に対する基準」が、偏差値の高い受験生と偏差値の低い受験生で大きく異なるということです。
「学習精度に対する基準」とは主観的なものになるので人によって異なるのはある種当然です。
物事の1/10を理解するだけで「自分はそれを理解しています」と認識する人もいれば、9/10以上でないと理解していないと認識する人もいます。
これは受験勉強においても同様です。
成績の伸びない受験生は、とにかく「学習精度に対する基準」が著しく低いです。
しかし、当の本人たちはこのことに無自覚です。
当然のように、自分はそれを出来ていると信じ切っています。
「学習精度に対する基準」への認識の差は、取り組み方の差に繋がり、取り組み方の差は成績の差に繋がります。
「学習精度に対する基準」が低い人は、もれなく成績は良くないでしょう。
本記事では「学習精度に対する基準」が如何に成績向上に重要なのかを説明します。
もしも、あなたが本記事を読んで自分に思い当たる節があれば、それは成績向上に対する黄色信号もしくは赤信号が灯っていると思ってください。
「学習精度に対する基準」について
日頃の当たり前の違いが成績に繋がる
「学習精度に対する基準」の認識の違いは、当然日頃の学習の取り組みの中でも大きな差となって現れます。
なぜならば、ある事象に対して1/10の理解を求めるのと、9/10の理解を求めようとするのでは必要とされる取り組み方が異なるからです。
そして、その取り組み方の意識の差は成績にも当然反映されます。
これは凄く簡単に言うと意識の差とも言えるでしょう。
学習精度に対する基準が高いということは、日頃から高い意識を持って高い完成度を目指して学習に取り組みます。
一方で、その基準が低いということは、無意識ながらも日頃の学習に対する意識が低く、するとその完成度も当然低くなります。
1つの学習、1日の学習の中で確実に大きな差があるので、その学習量が多くなるほど、かける年月が大きくなるほど途方もない差となって現れます。
なので1つの学習に対する意識の高さ、「学習精度に対する基準」の高さが重要なわけです。
偏差値低い人の「学習精度の基準は」は具体的にはこんな感じ
「学習精度に対する基準」の重要性は漠然とでも分かってもらえたと思います。
でも、もしもあなたが日頃そこに無意識で、「学習精度に対する基準」が低かったら、これまでの話だけではピンと来ないでしょう。
なので具体例⇩を出します。
この例を見れば、言わんとしていることを分かってもらえるはずです。
ある受験生(受験生Aさん)は、慶應大学を志望していて英語の偏差値を上げたいとします。
僕は、現状の学力を具体的に把握すべく、受験生Aさんのこれまでの勉強の進捗を確認します。
その中で、こんな会話が生まれます。
受験生Aさん:「単語は使っている単語帳も覚えてたので、今は長文演習に力を入れています。」
僕:「じゃあ、その単語帳は、見出し語・複数の意味・品詞・派生語・自他動詞まで全て完璧に覚えていて、基本的には見た瞬間パッと頭に浮かんでくるレベルってことで良いんですね?」
受験生Aさん:「いや、そこまでは出来てないです。見出し語は抜けは少ないと思いますが、それ以外は覚えていないです。」
さて、このやり取りを見て、あなたはどう思いますか?
この程度で単語帳を覚えたと認識するあたり僕には怖くて仕方ありません。
僕の感覚からすると、この単語帳に関して20%も完了していないです。
しかし、この次元でのやり取りは非常に多いです。
僕は受験生Aさんの、学習習得度自体に文句を言うつもりはありません。
覚えていないことや出来ないことは、これから出来るようになれば良いと思います。
ただ、自分ができていると認識する基準の低さがここまで低いと、恐らく全ての勉強においてこの基準が設定されているのだろうということに怖さを感じます。
⇩僕が英単語の学習でやっていたことをまとめた記事です。⇩
受験生Aさんと比較してみると、より僕の言っていることが鮮明に分かるかもしれません
何故「それで十分」だと思えるのか
偏差値が低い・成績が伸びない人の学習精度の基準が具体的にどう低いのかは、ご理解頂けたと思います。
しかし、先ほどの例に則り、受験生Aさんは果たしてその「学習精度に対する基準」の低さで本当に慶應大学に合格できると思っているのでしょうか?
これは恐らく、そこまで考えていない、が答えです。
自分の「学習精度に対する基準」が志望校合格に相応なものかどうかは考えていないのでしょう。
志望校の分析や、必要な学力に関して何も考えておらず、ただ漠然と志望校を設定し何となく勉強をしている状態です。
これは即ち、思考停止ってやつです。
これは先ほどの話にも絡みますが、意識の低さを顕著に表しています。
その意識の低さに基づいた学習は、どこまで行ってもたかが知れており、成績が伸びないという結果を生み出すだけです。
じゃあ、偏差値が高い人が求める「学習精度に対する基準」とは一体どのようなものなのでしょうか?
偏差値の高い人の「学習精度に対する基準」とは
これまで偏差値が低い人の、「学習精度に対する基準」について説明してきました。
じゃあ、偏差値が高い人のそれはどうなんだ?ということになると思います。
先ほどの受験生Aさんの例を取ってみると、慶應法学部に余裕で合格する層の受験生で一般的な大学受験用英単語帳の見出し語だけ覚えて満足する人はいないでしょう。
これは何故かと言うと極めて単純で、志望校の問題レベル的に見出し語だけ覚えるのでは足りないから、というゴールからの逆算に基づいた考え方をするからです。
また、英語だけでなく他科目にも言える事ですが、偏差値の高い人は以下のような考え方が自然と出来ています。
自分の志望校相応の知識は”隈なく”吸収しようとし、また単に知っているだけでなく出題された際は十中八九解答できるところまで昇華させる。
これは何も特別なことではありません。
自分が合格するためにと考えれば、必然的にここまでやろうと思えるようになるというだけです。
⇩偏差値が高い人はこうやって考える、という一例になるかもしれません⇩
さいごに
成績を伸ばし合格したいなら
ここまででお分かりになると思いますが、「学習精度に対する基準」が低いほど成績は低空飛行します。
どこまで行っても成績は上昇しません。
何故なら、「学習精度に対する基準」の高い人も日々勉強し、その差は日に日に大きくなる一方だからです。
もし、あなたが本気で成績を伸ばしたい・志望校に合格したいなら?
今すぐに自分の「学習精度に対する基準」を見直しましょう。
そうすれば、日々の学習への取り組み方が変わります。
その後は自ずと結果が付いてきます。
本記事を一つのきっかけにしてください。