バカな高校生が慶應法学部に合格した方法~ビリギャル超えとか余裕~

K.O diary

学校や予備校では教えてくれない私立文系の受験勉強法

【そんなわけあるか】「古文捨てる人は慶應に受からない」とかいう謎な風潮

先日公式ラインにて、

あるメッセージを頂きました。

 

その方は慶應志望ですが、

僕が教えているわけではありません。

 

しかしそのメッセージが興味深く、

同じように考えたり言われたり、

そんな人がいるのかもなと思い、

ここで記事にするに至ります。

 

で、どんな内容だったかというと?

 

「古文捨てて慶應受かったやつを見たことがない」

こんな風に塾で言われたそうです。

 

僕的には非常に面白いなと思いました。

 

もしかするとあなたも同じこと言われたり、

そういう経験があるかもしれませんね。

 

ただその真意は文字通りではなくて、

慶應受かる人はちゃんと古文とかもやるよ、

そういう人じゃないと受からないんだよ、

みたいなことなんじゃないかなとも思います。

 

それでも興味深さは変わりません。

 

何故なら僕自身が古文やらず慶應行って、

僕の教え子も一切古文やらず慶應行ってるから。

 

何なら教え子に関しては、

古文やってる方が寧ろ少数派。

つまり古文やらずに慶應行く人の方が多い。

 

だからいろんな考えがあるなと、

改めて思ったわけです。

 

否定する意図がある訳じゃありません。

意見をぶつけ合いたいとかもない。

 

人それぞれ考えがあるだろうし、

自分が納得できる選択をすればいいんですよ。

だってあなたの受験なんですから。

 

けど選択の幅を広げることは、

戦略の幅を広げることになるし、

それは合否さえ左右します。

 

だから一つの面だけで偏って見るのではなくて、

これもまたリアルだよということを、

お見せ出来たらなと思います。

 

この記事に関して

・古文捨てて良いか迷ってる慶應志望のあなたへ

・先入観が破壊され知見が広がります

 
【プロフィール(こちら)】
中3レベルから2か月で慶應法A判定。河合塾全統では偏差値80(英)・74(世)。慶法・経・商合格で法へ。
【指導実績】
早慶レベル模試:英語偏差値85over(全国46位)
早大・慶大プレ:英歴共に一桁(全国1位含む)毎年多数
河合塾全統記述:日本史偏差値79over(全国63位)
・河合全統記述:英語偏差値80超
・予備校行き続けても偏差値45⇒2か月半で慶應
・高3の12月に日本史初学⇒慶應
など多数

 

 

これが現実

古文やらなくても慶應は受かるよ

慶應志望ならご存じの通り、

慶應には古文どころか国語もないです。

 

当たり前ですが古文の得意不得意は、

慶應の入試合否に関係ありません。

 

しかしこんなのは言うまでもなく、

理屈としては分かっていると思います。

 

じゃあそれをもっとはっきりとした形で、

腹落ちさせられるように、

例えばこの方の成績を見てみましょう。

 

 

これは教え子が受けた、

高3第1回の駿台全国模試の成績です。


ご覧の通り、

国語の偏差値は27.5しかありません。

 

特に1枚目の右側で分野別得点を見ると、

古文は8/50点で漢文は0/50点です。

 

古文というか国語そのものを、

全く勉強していませんから、

当たり前と言えば当たり前。

 

けどちゃんと慶應法と文でA判定。

実際入試でも慶應法商SFCに合格しました。

 

さて古文は関係あるでしょうか?ってこと。

 

イメージとか頭では分かってるではなく、

目に見えて関係ないと分かるはずです。

 

この方を教えていた僕自身も、

国語は勉強していません。

 

古文について聞かれても全然分からん。

 

慶應志望の教え子の多くも同様です。

基本古文なんてやってません。

 

それでもちゃんと慶應受かってます。

何故か?と言えば超簡単。

 

古文なんて慶應に関係ない。

ただ単純にこれが真実だからです。

 

古文捨てる人は慶應受からないなんて、

デタラメもいいところですね。

 

併願校の幅も大して狭まらない

古文を捨てるとなった時に、

直感的に頭に浮かぶのは、

併願ではないでしょうか。

 

受けられる学校が絞られるのでは?

これもまた現実はそんなことありません。

 

絞られるかどうかで言えば絞られるけど、

全く気にならない範疇だと思いますよ。

 

marchはまず受かりますからね。

古文やってなくても受かるんですよ。

 

だって慶應に受かるように、

英社に絞って勉強してるんでしょ?

 

marchくらいなら2科目で引っ張り上げて、

古文関係なくどうとでもなります。

 

それでどうにかならないのは、

古文捨ててるからではなく、

英社ができないだけですよ。

 

英社が仕上がる勉強をしていれば、

全く問題になりません。

 

直感的ではないかもしれないけど、

それが現実です。

 

必ずしもあなたの直感と現実は一致しません。

 

上段でご覧いただいた方なんて、

国語偏差値27.5でも明治A判定が出ています。

 

「そんなわけない」と思っても、

それは先入観に過ぎません。

 

嘘だと思うなら再度確認してみてください。

 

それと同じく、

古文やってないとmarch受からない、

というのは言ってしまえば先入観。

 

この辺のもっと詳しい理屈とか、

古文捨てた教え子のmarch入試への臨み方とか、

そのへんは下記リンクで説明しています。

 

古文を捨てることについて、

今よりもっと解像度高くなるはずです。

国語偏差値27.5で明治A判定!marchは国語捨てても受かります

 

marchの入試でも国語ができなかろうが、

英社がちゃんと取れてれば合格点越えます。

 

これは僕自身もそうだったことだし、

教え子たちも当たり前にそうでした。

 

そんな教え子の合格体験記は、

公式LINEにて無料でご覧いただけます。

 

同時に教え子たちが使用してきた、

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楽勝で慶應に受かる

そして古文捨ててもmarchに受かる

 

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古文やらないことは怠惰なのか?

実際に古文やらず慶應受かるかどうかじゃない。

 

慶應受かる人はちゃんと古文とかもやる。

そういう人じゃないと受からないものだ。

 

もしこういう考え方になるとしたら、

古文をやらないのは怠惰だと、

思われているのかもしれませんね。

 

古文やらずとも慶應に受かることは、

既に説明済みですのでおわかりでしょう。

 

なのでここでは、

古文やらない=怠惰という考えに対し、

ぼくなりの見解を示していきます。

 

戦略的選択

古文をやらないというのは、

立派な戦略だと個人的には思います。

 

誰だって受験科目の取捨選択や、

勉強する科目の比重は考えるでしょう。

 

寧ろ考えずやってるんですかね?

 

受験に不要な科目までやったり、

配点や得意不得意考えず、

とりあえず全部均等にやるとか。

 

そんなことしないと思います。

 

入試に合格する戦略として、

必要な科目に絞って勉強するし、

科目ごとに傾斜を掛けてやるでしょう。

 

それは怠惰だからではなくて、

戦略的に有効と思ったからの判断なはず。

 

それと一緒ですよ。

 

例えば英国社を4:3:3でやるのを、

6:4:0のようにしているに過ぎません。

戦略的に優れていると判断しただけ。

 

何が違うんですか?

 

色々考えた末に受かりやすいから、

そうしてるだけなんだけど。

 

怠惰ではなく戦略の一環。

せめて要領が良いと言って欲しいですね。

 

むしろ馬鹿正直は時に悪。

損を招きかねません。

 

下段で説明しましょう。

 

馬鹿正直は時に悪

既にご覧いただいているように、

英社ができれば慶應には受かるし、

同時にmarchにも合格できます。

 

古文というか国語を勉強してなくてもです。

つまり2科目さえできればいい。

 

当たり前だけど英国社に分散するより、

英社に絞ってやる方が慶應には受かりやすいですよね。

 

何でも馬鹿正直にやることは、

時に受かるチャンスさえも逃します。

 

例えば先ほどご覧いただいた、

国語偏差値27.5の方で再度考えてみましょう。

 

この方は慶應志望で、

国語を勉強していません。

 

やってたのは英社のみです。

 

それで慶應法や文がA判定。

明治もA判定です。

 

もし国語を一定勉強していたら、

慶應A判定は出ていなかったかもしれない。

 

絞ってやったからA判定取れてたものが、

リソースが分散されますから、

その可能性は否定できないはず。

 

実際この方はこの時、

ギリギリでのA判定でしたしね。

科目を絞った成果です。

 

もしここで、

英社のリソースが分散されれれば、

慶應のA判定は難しかったでしょう。

 

そうすれば明治はA判定でも、

慶應はB~C判定だったかもしれない。

 

この選択って意味わかんなくないですか?

 

だって国語やんなくて、

慶應も明治もA判定出てるのに、

わざわざ国語までやる。

 

しかもそのうえ、

慶應A判定じゃなくなるって。

 

慶應志望なのに?

併願の明治もA判定だったのに?

 

何のためにそんなことすんの?

 

だったら英社に絞って、

慶應も明治もA判定で良くない?

 

馬鹿正直に満遍なくやることで、

目的から遠ざかっているわけです。

 

だから馬鹿正直は時に悪なんですよ。

なんでもやればいいってもんじゃない。

 

イメージは持てたでしょうか。

 

これと同じことが、

実際の入試に向けた戦略でも言えます。

 

例えば慶應志望だけどそのレベルにない。

 

そんな人が巻き返して合格しようとすれば、

言うまでもなく2科目に絞って、

突き抜けてやる方が強いでしょう。

 

実際に僕が教えている人で、

慶應逆転合格するのはこういう戦い方。

 

偏差値40台や50前半から、

残り3か月あるかどうかだったり。

⇒【実例アリ】もう後がない受験生へ!3か月で慶應大学へ逆転合格する作戦はこちら

 

ふと思い立って11月に仮面浪人を決め、

そこから勉強し始めたり。

 

例えばこんな人が慶應行こうとすれば、

国語なんてやらずに英社仕上げる方が、

よっぽどチャンスは大きくなる。

 

しかもその過程で国語やらなくても、

marchには受かるんだから。

 

にもかかわらず英国社と満遍なくやれば、

2科目に絞る時と比べ英社は劣りますから、

慶應へのチャンスは小さくなります。

 

marchは受かるだろうけど、

それは2科目に絞っても同じく受かる。

 

こう考えた時に、

どっちが戦略的に有効でしょうか?

 

寧ろ何も考えず馬鹿正直に、

3科目満遍なくやってる方が、

目的達成においては怠惰では?

 

何をボーっとやってんだよって話。

思考停止が過ぎないか?

 

それ自分のチャンス狭めてるよって。

 

必ずしも古文までやることが悪いとか、

そんな話をしているのではなくて、

状況次第でこういう見方もあるってこと。

 

実際に僕の教え子にしても、

追い詰められた状況になって相談してくれて、

慶應に行きたいからと古文を捨てて、

逆転合格した人は何人もいます。

 

彼らだって初めは、

古文捨てて大丈夫なの?って、

そういう反応してました。

 

けどmarchだって、

ちゃんと受かってる訳ですね。

 

僕は彼らの選択が怠惰とは、

とても思えません。

 

目的達成に最適化しようと、

考え抜いて腹を括ってした選択です。

 

何となく不安だからとか、

そういう次元でやってないわけ。

 

自分の置かれた立場を理解し覚悟決めた選択です。

 

もしも古文捨てることなく、

英社に振り切ってやれなければ、

慶應には受かってなかったと思います。

 

これは受かるチャンスを、

自らの選択で逃したことと同義。

 

確かに3科目満遍なくやるという、

形のうえでは勤勉に見えます。

 

しかし目の前のチャンスを、

軽々しく逃す選択をすることこそ、

目的達成の観点で言えば怠惰です。

 

何のために勉強してるかと言えば、

志望校に受かるためなはず。

 

その志望校とはここでは慶應だから、

慶應に受かるために勉強しているはず。

 

しかも英社に絞った勉強でも、

marchには合格できるのに、

わざわざ3科目やって慶應に遠回りする。

 

目的達成に最善を尽くしたとは、

到底言えるものではないし、

僕的には怠惰な選択です。

 

何も考えてないんだなって。

 

勿論これは一概にってことじゃなく、

状況によって判断が変わります。

 

慶應志望の人は古文やるなー!とか、

そういう話をしてるのではありません。

 

ただ覚えておいて欲しいのは、

必ずしも馬鹿正直=善ではなく、

むしろ悪にもなりえるってことです。

 

それは時に要領が悪いだけに成り下がり、

得られる成績や合格のチャンスを損ないます。

 

古文までやるのがマジメとか、

そういう人が受かるとか、

そんなのないからwww

 

それで馬鹿正直に古文までやって、

受かるもんも落ちてたら世話ないです。

 

間抜けでしょ?そんなの。

 

だから馬鹿正直は時に悪、

ということですね。

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注意:怠惰かどうかは古文の取捨にはない

勘違いしないで欲しいので、

補足的にここまで書いておきます。

 

言いたいことが分かる人については、

サクッと飛ばしてもらって構わないです。

 

古文やってるから怠惰・怠惰じゃない。

古文やってないから怠惰・怠惰じゃない

 

こういうことではありません。

その選択どうこうってことではない。

 

何も考えず馬鹿正直に、

何でもやろうとするのは、

紛れもない思考停止。

 

誰かが言うからって、

自分の頭で判断しようともせず、

とりあえずで古文やるのも思考停止。

 

こんな思考停止は確かに怠惰。

上段の通りです。

 

だからと言って古文捨ててても、

同じことが言えてしまいます。

 

中には大した考え持たずに、

古文捨てる人もいるでしょう。

 

はたまた僕のような考えに触れ、

自分で咀嚼することもなく、

軽く捨てる人もいるでしょう。

 

こうなってれば上段の話と、

本質的には変わりません。

 

だから古文の取捨それ自体で、

怠惰かどうかなんて言えない。

 

大切なのは自分の置かれた状況を加味して、

目的を果たす上で何が最善か考え抜き、

最善と思える選択をすることです。

 

僕は今回この記事を通して、

古文を捨てる可能性について示しました。

 

古文やってなくてもmarchは受かるし、

当然慶應には受かりやすくなる。

 

みんな知らないだけで、

こういう現実は紛れもなくあります。

 

古文を捨てることへのデメリットや、

多くの人が懸念することのような、

ほんの一面だけでは測れません。

 

それはめちゃくちゃ狭い見方です。

これだと選択の幅がない。

 

この記事をご覧いただく前よりも、

知見は広がったと思いますし、

違う見方も生まれたんじゃないでしょうか。

 

そのうえで自分の目的を果たすにあたり、

最善の選択をするってことが重要です。

 

そこまでやり切っていれば、

結論に関わらず怠惰とは言えない。

 

逆にそれができてないなら、

どんな結論出も怠惰としか言えない。

 

だから古文の取捨それ自体を見るではなく、

戦略としてもっとも優位な選択をする、

という考え方ができるといいですね。

 

さいごに

まとめ

思考停止して特に深く考えもせず、

とりあえず全部やるもんだろうとか。

 

誰かが言うから何となく不安だし、

一応古文もやっておいた方が良いかなとか。

 

あなた自身の受験なんですよ?

 

自分事で考えるべきだし、

いい子ちゃんになる必要もありません。

 

自分の目指すべき姿に対して、

どういう選択が一番刺さるか。

 

ただこれだけです。

 

その上で古文をやるなら全然いいだろうし、

逆にやらないならそれも勿論いい。

 

自分の頭でちゃんと考えて、

納得のいく選択をしてください。

 

この1科目勉強するしないは、

時間の使い方なども含め、

かなり受験を左右しますからね。

 

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