「どう使うか」>>>>>>「何を使うか」
ほとんどの受験生は「何を使うか」を躍起になって情報収集を行います。
先生におススメされた、ネットで調べたらこんなおススメが出てきた、色々情報が多すぎて結局何を使えばいいのかって答えに辿り着くのは難しいんですね。
こんな風に「何を使うか」というのは受験生の悩みの種としてあるあるなんじゃないかなと思うんです。
でも、参考書を「どう使うか」ってところを気にしてる人って「何を使うか」を気にしている人よりも遥かに少ないんですね。
これってすごく不思議じゃないですか?
どんなに優れた参考書や問題集でも正しい使い方をしないと意味は無いはずじゃないですか。
それとも、「参考書さえ優れてれば使い方に関係なく受かる」とでも思っているのでしょうか?
この「どう使うか」を意識できる受験生は志望校に合格しやすいです。
一方で、「何を使うか」に気を取られ続ける受験生は大半が成績伸びずに終わります。
幾ら良い参考書使っても成績が上がらないなんてまさに猫に小判です。
これら「何を使うか」と「どう使うか」という考え方は、あなたの受験の合否の分かれ目となる考え方かもしれません。
有名な参考書には大差がない
これやれば絶対に受かるなんて存在しない
参考書というのは、その道のプロの叡智が集約された受験対策において極めて優れた書物です。
それは素人が書いたものではありません。
その参考書の中でも有名になるものとそうではない物がありますよね?
プロの叡智が集約された参考書の中で有名になるということは、過去に受験生が使ってきて受験に役立ったから評判が上がったという背景があるですね。
つまり、そうなるに相応しい理由がある訳です。
例えば、情報量が圧倒的に足りていない参考書がそれだけの称賛を集めることができるでしょうか?
使いずらさが目立つ参考書が受験生から称賛を受けることがあるでしょうか?
きっとそんな現象は起きないはずなんです。
受験に必要な情報や使いやすさが少なくともそれなりには高い水準で担保されているはずです。
とすれば、有名な参考書同士で合否を左右するほどの大きな差が付くとは考えにくいと思いませんか?
そんな中で受験生によって評判が分かれる原因があるとすれば「肌に合うかどうか」に過ぎないでしょう。
何となく自分には合わなかったという個人差みたいなものです。
しかし、肌に合うかどうかという個人差は使い手によって信憑性は変わります。
例えば、成績の悪い人がそれを言っても「使いこなせていないだけ」「使いこなす能力が無いだけ」かもしれません。
一方、成績の良い人が言うのであれば、それは考慮に値します。
他の参考書は使いこなせる上で、その参考書は合わなかったとなれば何かしら参考にすべき理由があるからです。
参考書を正しく使うことができる人にしか「その人に合うかどうか」は測れないわけですね。
そして最も覚えておかないといけないことは、「これをやったら絶対に受かる」という絶対的正解と言える参考書は存在しないということ。
「その参考書をその人が正しく使ったから成果が出た」という認識は不可欠です。
どんなに優れた参考書であろうと、それを使う人次第では猫に小判のような現象は起きてしまいます。
ここまでをまとめますね。
「何を使うか」も大事なのですが、それにあまり振り回され過ぎずに「どうやって使うか」を身に着けるほうが学力の向上には有効ってことは覚えておきましょう。
「何を使うか」ということ
プロスポーツ選手と同じ道具使っているだけじゃプロにはなれない
「何を使うか」に固執するということを日常生活に置き換えてみましょう。
スポーツでも音楽でも良いです。
良い道具を使うだけでプロになれるでしょうか?
たとえば野球選手と同じグローブ使うだけでプロ並みの守備が出来るようになりますか?
高いレベルになるほど道具が差を分けることはあるかもしれません。
しかし、それは道具を使う人が優秀だからこその話しです。使う人が並み以下であるならば勝負を分ける原因が道具ではないはずです。
理屈的にはこれと同じで、まずは道具よりも使う本人が優れた能力を持っていないと意味が無いってことです。
更にたちが悪いのは、良い道具を使うことでプロになった気になる事です。
勉強で言うなら、優れた参考書を使うことで頭が良くなっていると勘違いする事ですね。
この有名な参考書を使うことで頭が良くなった気がするという勘違いは凄く厄介で、自分が勉強苦手だという自覚を奪います。
本当はもっと地に足をついて勉強しないといけないのに、それが出来なくなってしまいます。
「良い参考書を使う=偏差値が上がる」が成立するのは、正しく使う能力がある人に限定されます。
正しく使う能力が無い人が使っても、頭が良くなることは無いです。
「どう使うか」ということ
”弘法は筆を選ばず”と同じ
有名なバイオリニストの葉加瀬太郎さんてご存知ですか?
プロが使うような高いバイオリンではなくお手頃価格なバイオリンを葉加瀬太郎さんが引いている動画をYouTubeで見たことがあります。
めちゃくちゃ上手いんですよこれが。
そりゃ良い道具使えばもっと上手なんだろうけど、クソ高い道具を使っても全員が彼ほど上手に弾けるわけでは無いと思うんですね。
これこそが「弘法は筆を選ばず」なのかぁと実感した瞬間でした。
ここから何を言いたいかと言うと、成績の良い受験生は使っている参考書以上に本人の資質が高い=使い方を知っているということです。
そこに良質な参考書があわさるから更に成績が良くなっているに過ぎません。
今のところ成績が伸びていないAさんがいるとしましょう。
成績が伸びているBさんと同じ参考書を使ったらAさんはBさん並みの成績になると思いますか?
残念ながら、そうはなりません。
AさんがBさんよりも特別良質な参考書を使ったとしたらどうでしょうか?(そんな特別良質な参考書が存在するとは思えないが)
これでもBさんに並ぶことは出来ないでしょう。
結局Aさんは正しく参考書を使う能力が無いからです。
成績向上に「本人の資質×参考書の質」という構図がある以上は、残酷ですが本人の資質が低ければ成績には反映されないんですね。
使い方を知っている受験生は、仮に参考書に特別強い拘りが無くても順調に成績は伸びます。
これは先述した通り、有名な参考書同士では決定的な優劣が付かないからです。
それなりに有名な参考書を使っていれば、正しい使い方ができるので成績は勝手に伸びてくれます。
「どう使うか」を身に着ける方法
その参考書から学べることは無いと思えるまで使い倒す
ここまで「どう使うか」=「参考書の正しい使い方」を知らないと成績は何も変わんないって話をしてきました。
「正しく使うって何なの?どうすれば身に付くの?」って話になりますよね?
答えは凄くシンプルで、その参考書を完璧にすればいいんです。
完璧っていうのは、その参考書から学べることは無いと思えるまで使い倒すってことです。
その具体的な勉強法は勉強内容に依って変わりますが、多くに共通して言えることは難しいものではありません。
繰り返すことです。
その参考書から学べることが無いと思う得るまで使い倒す際に、たった1周解いて完璧になると思いますか?
一部の天才にはできても、少なくとも凡人の僕にはできない芸当です。
僕のような凡人が参考書を完璧にするには繰り返すことで記憶と理解を定着させるしかありません。
量をこなすことがアドバンテージなる勉強を除くと(英語なら多読とか)、繰り返しが結局一番です。
英語であれば、単語・文法・英文解釈などは繰り返しやる方が色々使うよりも10000000倍効果的です。
頭でっかちにならず、焦る気持ちを押さえて色々手を出さずに繰り返すことを徹底できれば「何を使うか」に拘らずとも成績は向上するでしょう。
一度立ち止まって自分を見つめ直そう
さいごに
これまで色々な参考書を使ってきて成績が伸びていないという人は、「どう使うか」って観点を持つ事すらなかったと思うんですね。
なので、まずは「何を使うか」に重点を置いていなかったかどうかを自問自答してみましょう。
もし「何を使うか」に偏った考えだったのなら、今からでも考えを改めることをおススメします。
このままだと費やす時間が無駄になるような勉強をしてしまう可能性が高いです。
時間は有限ですので、時間も労力も浪費しないように「どう使うか」を身に着けましょう。
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