慶應大学に入って一番良かったこと
まずはタイトルに対する結論から話しましょうか。
今振り返って慶應入って一番良かったことは、頭の良い人たちと出会えたこと、機知に富んだ会話をする機会が多い事です。
これ、多分受験生とか在校生には分からないことだと思います。
実感が湧かないですよね?
これは僕も社会人になって実感したことです。学生時代には絶対に気付けなかったと思います。
でも、特に受験生にこそ知っておいてほしいです。
あなたの今後の会話の知的レベルは入る大学によって大きく変わってきます。
「おれは頭良いんだぜ」なんて言うつもりはありません。
しかし、残念というべきか学歴による知的水準の差は紛れもない事実です。
今回はそんな事を書いていきます。
慶應以上と未満の知的水準の違い
改めて言っておきます。
別に慶應だからおれ頭良いとか言うつもりはありません。
少しばかし高学歴だから偉いとも思っていません。
しかし、僕は高校や社会に出てから頭の差を実感せずにはいられませんでした。
勿論、学歴が無くても頭が良い人がいる事は百も承知です。
あくまで平均的なレベルでの話です。
ぶっちゃけコミュニケーションコストが違います。
それは頭の回転の速さ(レスポンスの速さ)、語彙力、話の通じ方などです。
慶應未満の人には正直遠慮してしまいます。
自分を抑えずに話すと伝わらなかったりするからです。
悲しい事ですが、これが現実です。
一方で、頭の良い人たちには遠慮する必要もありません。
むしろ、話していて感心することも多々あります。
自分と同じかそれ以上での切り返しの速さ。
ウィットにとんだ表現や語彙。
特に顕著なのは話の伝わり方です。
慶應以上のレベルではは10の内3~5も言えば伝わります。
その中でも頭が良い人は1~2で理解してくれます。
「あ~そう言うことね」と話の途中でも伝わっています。
話してて楽です。
全てを赤子に話すように伝えなくて済むので疲れません。
慶應に入って頭の良い人たちと出会えたことが財産
やっぱり頭の良い人たちとは話していて心地いいし、楽しいです。
そんな人たちと出会えたのは僕の場合は慶應に入ったからです。
高校は頭良くないので、慶應に入らなければ頭の良い人たちと触れ合う機会はなかったでしょう。
慶應の友人は勿論、東大の友達も多数できました。
学歴が全てではないとはいえ、学歴と知的水準は比例することが身に染みて分かります。
僕は、今この記事を読んでくれているあなたにも同じように頭の良い人たちと触れ合ってほしいのです。
別に慶應じゃなくても良いです。早稲田でも、東大ならそのほうがいいでしょう。
そのような人たちと話すことは、それが何気ない会話でも貴重です。
しかし、受験を失敗すればその機会は失われます。
こんなことを言われても時がたたないと分からないだろうとは思いますが、これが僕が慶應に入って良かったと一番思うポイントです。