バカな高校生が慶應法学部に合格した方法~ビリギャル超えとか余裕~

K.O diary

学校や予備校では教えてくれない私立文系の受験勉強法

1ヵ月弱で法政で50%⇒慶應80%に引き上げた内容

今教えている方の英語を、

法政大学社会学部で50%(厳密には47%)から、

慶應義塾大学商学部80%越えに引き上げた。

 

それも1か月足らずで、だ。

厳密には11/11から12/1での出来事になる。

3週間くらいか。

 

この間は毎日のように電話もして、

散々キツイことも言ってきた。

 

殺意すら覚えられていたかもしれない。

それでも食らいついてくれた。

 

だから、その受験生の頑張りのおかげ。

 

これは言うまでもない。

もしそこで逃げてれば、

こんな事は出来なかったろう。

 

けど多くの人は頑張っても、

こんな風には上げられない。

 

じゃあ如何にしてそこまで引き上げたか。

これを折角なので共有する。

 

勿論全部を同じようにやる必要はない。

 

課題は各人によって異なるのが常なので、

そこに合わせたやり方をして行く必要があるからだ。

 

それでも取り組み方全体としては、

きっと少なからず役に立つと思う。

 

ただ初めに言っておくけど、

小手先のテクニックとかじゃない。

 

当たり前なことを、

当たり前にやるようにして貰っただけ。

 

読み進めてもらえばきっと意味が分かるはず。

前提

こういう状態から始まった

その方は仮面浪人生。

都内の女子大に通っている。

 

偏差値は結構低い。

河合塾で45くらい。

 

9月に入って仮面浪人を決め、

志望校は慶應法学部。

 

模試は受けてないので、

その時点での偏差値は不明。

 

僕が教え始めたのは10月の初旬。

ゼロからやって欲しいとのことだった。

 

けど普段は大学にも行っているし、

受験費用は自分持ちなので、

週3~4でバイトもしている。

 

そんな限られた時間の中での仮面浪人である。

 

初めのうちは単語・文法・英文解釈など、

基礎的なことばかりやってもらった。

 

同時に長文もやってもらっていたけど、

最低限の最低限は出来るようになった。

 

事あるごとに通話のリクエストがあったので、

その都度確認もしたし間違いない。

 

けどここは今回の主題ではない。

こっからが本番。

 

教え始めて1か月ちょっとたった頃、

総じて順調に進んでいるようだった。

 

配信で触れた”成績を上げるツボ”を、

教えた上でやってもらってるので想定通り。

 

そこで11月の途中からmarchの過去問を、

長文演習の一環でやるようにして貰った。

 

法政・中央・青学なんかも、

受験を検討していたし、

都合良いなという判断。

 

1日1つ過去問を長文演習も兼ねてやる。

 

丁度教え始めて1ヵ月ほど経って、

そういう方針になった。

 

そのタイミングだ。

法政で47%が出たのは。

 

他の過去問を含めても、

50%前後~60%ほど。

 

そこで焦って連絡してきた。

「全然点数取れない」と。

 

僕が教えてからまだ1か月ちょっと。

だからそんなに慌てる必要はない。

 

たかだか教えて1ヵ月で、

9割取れるとは思ってないし。

 

だけどその点数以上に、

取り組み方に危うさを感じた。

 

少しラインで確認しただけでも、

目に見えて分かるヤバさ。

 

これ本人に任せて、

自分で気付けなかったら、

そのままズルズル行くかも。

そう感じた。

 

だからちょっと詳しく話を聞いてみた。

 

本人曰く知識問題が多く出る時は、

少し点数が上がるが、

それがないと大幅に下がるらしい。

 

要するに長文が絶望的に出来ない、と。

 

復習もして単語文法英文解釈的には合ってるはずなのに、

解説・和訳を読んでも意味が分からない。

 

大問1で何言ってるか分からず出鼻くじかれて、

そのまま以降もボロボロになる。

 

何言ってるか分からないまま読んでたら、

全然点数が取れなかった。

 

逆に頑張って読もうとしたら時間無くなって、

焦って大量失点していくとか。

 

何だか盛りだくさんだったけど、

要するに長文出来ないって話。

 

そしてそこで詳しく聞いた内容からも、

「あー全然なってないわ」と感じた。

 

このままズルズル行ったら最悪だし、

色々と直した方が良い事いっぱいあるなぁ。

 

そう思ったのでガッツリ介入することにした。

そっから1ヵ月弱、慶應商で8割を超えた。

 

まあ当然の結果ではあるけど、

何よりだよねちゃんと伸びてくれて。

 

で、何をしたか?

 

これこそが今回の主題であり、

この先に話すことになる。

 

やったこととその成果

色々と話を聞いて、

「取り組み方ヤバいな」と感じた原因。

 

それはザックリ言うと以下の通り。

 

  • 復習・日頃の学習の粗さ
  • 失点原因特定の甘さ
  • 実践に対する意識の低さ
  • ケアレスミス

 

まあ要するに何もかも、ではある。

 

やることやってない。

基本的には単にこれだけだった。

 

だからそれをしっかり認識してもらって、

ちゃんと対策していく。

 

普通のことを普通にやってもらう。

大きくはそれだけだ。

 

そして配信でも触れた”成績を上げるツボ”。

 

これを用いた学習は、

上記に加えて継続してもらった。

 

1個ずつ見て行こう。

 

復習・日頃の学習の粗さ

復習の過程を聞いた際に、

その粗さが目立った。

 

日頃の問題集でも過去問でも、

長文を読んだ際には、

復習するように伝えていた。

 

例えば文構造・意味を取り違えたなら、

その原因は明らかにするべきだし、

どうして誤ったのかを明確にするなど。

 

こうやって初見で読めなかった文を潰していくのは、

正確に読む力を身に着ける上で有効だから。

 

けど、それが全く出来てなかった。

 

厳密に言うと本人はやってるつもりだったけど、

こちらから見ると手抜きでしかない。

 

印象的だったのは、

明治の過去問で出てきた以下の文。

 

Just put anything down on the form

 

これを解説・和訳まで読んだ上で、

「形の上に何かをちょうど置け」と、

訳していたんだ。

 

本人的には単語は分かるし、

文構造も取れてる。

 

だけど、

「何を言っているか分からない」

となるそうだ。

 

そりゃ、分かんないよな。

 

「形の上に何かをちょうど置け」って、

は?としかならないし。

 

勿論今あなたには文脈が分からないし、

その正確な意味は掴めないだろう。

 

けど解説にも和訳にもこう書いてあるんだ。

「記入用紙に何でもいいから書いてしまってください」

 

その上で「形の上に何かをちょうど置け」と、

訳わからん日本語の訳を作ってる。

 

単語も文構造も分かるのに訳したら、

何を言っているか分かんないって悩んでる。

 

解説・和訳読んでも、

そこに疑問を抱かずに、

訳わからん訳で止まっている。

 

で、そのまま放置しようとしていた。

”自分なりに”ちゃんと復習したつもりらしい。

 

これは日頃から如何に、

テキトーに復習しているかが伺える。

 

「形の上に何かをちょうど置け」

 

こんなの意味わかんねーだろ?

分かる訳がないんだ。

 

まずそれに疑問・違和感を抱けないことがヤバい。

 

「これ変だな」って違和感を持てないことが、

凄まじいほどの意識の低さを表している。

 

そして解説・和訳を参照して復習した上でも、

尚この訳で復習を終了させようとしている。

 

これはもっとヤバい。

 

ちゃんと訳があるんだから、

そこと照らし合わせれば、

何がおかしいのか分かるはず。

 

なのにそんなこともやっていない。

 

気付けるはずのことにも気付かない。

というか気付こうとしていない。

 

こんなの復習になっていないよねって話。

 

ただ表面的に復習みたいなことしてるだけ。

その目的意識が失われている。

 

過去問でこの程度の復習で済ませるってことは、

これまで解いてきた長文も英文解釈の問題集も、

こんな訳わからん訳で満足している恐れが強い。

 

そりゃ幾ら単語や文法を詰めて、

英文解釈の知識自体が入っていても、

何を言っているかは分かるようになんないだろ。

 

Just put anything down on the form

 

こんなの難しい単語も文法もない。

文構造って言えるほどのものもない。

 

なのにこんな初歩的なことに、

何も感じずにボーっと復習してるって相当ヤバい。

 

こういうのはサボりって言うんだ。

 

本人にそのつもりは無くても、

やるべき・出来る事すらやらないというのは、

サボりとしか言えない。

 

しかもこれは”成績を上げるツボ”を、

殺すことにもなりかねない。

 

折角読めるようになるはずなのに、

こんなことしてたら読める訳ないから。

 

死ぬほど足を引っ張っている。

 

当たり前のことすらやらずにサボって、

”成績を上げるツボ”が活きると思ったら大間違い。

 

こんな風に幾つか指摘していった。

 

とにかく自分の甘さに気付いてもらうため。

そしてどうやれば良いのか気付いてもらうため

 

そしてそれを過去問の復習だけでなく、

日頃の英文解釈の勉強でも反映させるよう、

少なくとも10回以上は言った。

 

「雑にやってない?」

「ちゃんと細かくやってる?」

「この前みたいなことしてたら何も意味ない」

そういう確認の連続。

 

それを徹底してもらうこと。

これが1つ目にある。

 

失点原因特定の甘さ

次に失点原因の特定の甘さ。

 

「根本解決」

これがここでのテーマ。

 

例えば長文問題で、

以下のようなことは経験あるだろう。

 

代名詞を取れなかった。

もしくは取り違えた。

だから失点した。

 

多くの場合は、

「この代名詞はこれだったんだ」で済ませる。

 

さて、あなたはどうだ?

この人はまさにそれだった。

 

で、それで何を学ぶの?

何が次に活かされるの?

 

この代名詞が分かれば解けた。

そんなの当たり前じゃん。

 

寝坊しなければ遅刻しなかった。

これと同じくらい当たり前。

 

でも本当に聞きたいのって、

何で寝坊したの?でしょ。

 

それと同じ。

 

「この代名詞がこれだったんだ」ではない。

 

どうしてその代名詞を取れなかったOR取り違えたのか?

これが失点の根本原因なはず。

 

ならここを明らかにして対策打たないないと、

また同じように代名詞取れなかったで終わる。

 

「どうして自分は正解に辿り着けなかったのか?」

これが失点の原因を明らかにするってこと。

 

「どうすれば正解に辿り着けたのか?」

そしてこれが失点原因に対策を打つっていうこと。

 

こういうことを明らかにしていない。

 

これは確実に手抜き。

つまりはサボりだ。

 

「この代名詞はこれを指してたんだ」で終わる。

それは最早答え合わせでしかない。

 

残念ながら復習にはなっていない。

 

取れなかった代名詞を何故取れなかったのか分析し、

次やる時には取れるようになるためにどうするか。

 

こうなっていないと、

何のために復習するのかって話になる。

 

目的意識なくやるから解説を眺めただけで、

”復習した気分”になるんだ。

 

これはこの例に限らず、

全ての設問に言える事。

 

例えば、知らなかったから解けなかった。

本当にそうか?

 

知らなくても解ける術はあったんじゃないか?

 

受験用単語帳を上回る難しい語彙を問う問題でも、

実は知らずとも解けることはかなり多い。

 

それが答えを導き出す力になる。

 

本当に知らなきゃどうにもならない。

こういう場合も当然ある。

 

けど全てがそうだと思い込むのは思考停止。

 

知らなくても解ける問題を得点できるようにする、

自分のチャンスに自ら蓋をしている。

 

そういう考えで日々取り組む人は、

そりゃ思うようには伸ばせない。

 

だから知らなくても解けるのに、

不要に語彙を詰め込んだりする。

 

こんな事すれば時間がかかるのは必然。

 

しかも更にそこを上回る語彙が出れば、

知らないのだから白旗上げるしかない。

 

「どうして自分は正解に辿り着けなかったのか?」

「どうすれば正解に辿り着けたのか?」

 

普段からこういうことに対して、

正解を求め続けないから、

点数が伸びないし、

やることも的外れになってコスパを落とす。

 

これは全ての設問に言える事。

ここで例として出した話に限らない。

 

著しく程度の低い復習をしてるから、

いつまでたっても”得点力”が伸びないんだ。

 

こんなのは”成績を上げるツボ”ですらない。

やって当たり前のこと。

 

基本中の基本ってやつ。

 

大切なことだからもう一度言う。

こんなのは”成績を上げるツボ”ですらない。

 

ちょっと話が逸れかけているけれど、

こういう事を電話でその受験生に、

口酸っぱく言い続けた。

 

「いや、それはもう考え方から違う」とか、

「そこで止まってたら次に活きなくない?」とか、

「そんな表層的な解決策じゃまた繰り返すよ」とか。

 

1ヵ月弱ひたすら言い続けて、

”正しい”失点原因の特定と、

そこに対する対策をするようにしてもらった。

 

本来は模試だろうが長文問題集だろうが、

こんなの当たり前にやるべきこと。

 

それもやらずにサボってきたのだから、

そりゃ点数は低くなるよねという話。

実践に対する意識の低さ

模試でも入試でも、

限られた試験時間内に、

今持てる自分の力を最大限発揮し、

出来るだけ得点を取ることが求められる。

 

それが模試なら偏差値に繋がり、

入試なら合否に繋がる。

 

こういう実践的な意識が、

過去問において極めて薄い。

 

これもまた点数低迷の、

大きな原因だった。

 

本番を想定した過去問の使い方じゃなく、

単なる練習のための練習になっている。

 

こういう目的意識を見失った取り組みは、

当然結果に反映されない。

 

この人だけでなく多くの受験生は、

そういう過去問演習をしている。

 

つまり、ただ解いてるだけ。

 

大問毎の解く順番や、

時間配分の比重の置き方。

 

こんなのは当然やるべき。

 

これを考えることもなく、

単調に解いていては、

もっと点数取れるかもしれないチャンスを、

自ら手放すことになる。

 

それに加えて、その場での判断力。

これも無きゃいけない。

 

例えば大問1がやたら難しかったとする。

 

想定が狂ったからと、

そこに時間を掛け過ぎたりして、

大問2以降の時間が削られる。

 

これで大問2以降は難しくなかったとしたら、

ただただ点数を解くチャンスを逃しただけだ。

 

だからさっさと大問1に見切りをつけて、

そこに振り回されないよう、

その場で判断することが求められる。

 

もしくは大問1が難しくて失点したからと、

気が急いて他の取れる箇所を落とす。

 

この場合は冷静に、

「トータルで点数取れば良い」

という見方をその場でしなければいけない。

 

こういうのは大問だけに限らない。

 

難しい設問に時間を掛け過ぎて、

他が圧迫されるなら、

さっさと見切りをつけるべき。

 

そういう判断はアドリブでしなきゃいけない。

 

何が言いたいか?

 

常に限られた時間、

自分の持てる力で、

どうしたら最大の点数を取れるのかを、

考えなきゃいけないってこと。

 

それが実際の力以上に、

”実践力””得点力”となって差が付く。

 

圧倒的に自分のレベルが勝る場合は、

こんなのは必要ない。

 

例えば偏差値70の人が、

偏差値50の過去問を解く、

もしくは入試を受ける。

 

こんな時には必要ない。

 

けど偏差値70の人が、

偏差値70の過去問・入試を解くなら、

こういうことで差になったりする。

 

元々頭が良い人は、

この程度の事なら、

改めてやるまでもなくその場でできる。

 

至って普通にやるだろう。

 

けどそうじゃない人は、

こういう考え方や判断力は、

意識的に身に付けるしかない。

 

そしてそれは身に付けば、

初見の問題でも見立てが立てやすかったり、

その場で的確な判断がしやすくなる。

 

だから普段から養なっていく意識が必要なんだ。

 

日々の長文問題集でも出来るし模試なんかは、

そういう事を実践で試すまたのない機会。

 

日頃の積み重ねで出来るようになる。

 

けどこの人は模試を受けてなかったし、

長文問題集でもそういう取り組みをしてなかった。

 

当然のように過去問でも何となく解いて、

復習でもこういうことに目を向けない。

 

だからいつまで経っても、

同じような点数が稼げない。

 

この件についても点数が低かった時に、

話を聞きながらウザいほど言った。

 

ただこれは今日明日では身に付かない。

自分の肌感として身に付けないと行けないから。

 

だから解くときも復習の時も仮説を立てて、

それを検証していく中で身に付けていく。

 

200点満点で8割取れば良い試験なら、

40点分も落として良いんだから、

と言ってもそれが即座に出来る人は少ない。

 

どこで取って、これは落としていいとか。

その8割取るためにはどういう工夫をすれば、

取りやすくなるのかとか。

 

試験中には誰の力も借りられない。

 

だから自分の力で、

しかも即興で、

そういう判断が出来るようになってもらわないといけない。

 

頭ではわかっていても、

実際に出来なきゃ意味がないから。

 

だからこそ日頃の過去問では、

そういう事を常に考えてやってもらう必要がある。

 

そうやって養って行かないと、

自分だけの力で出来るようになっていかないから。

 

そのために毎日のように都度確認し、

何がいけなかったのか、

次どうするのか、

及びそこへのアドバイス

みたいなことを言い続けた。

 

そうすれば嫌でも、

どういう判断をするべきかとか、

どういう考え方をするべきかが、

自分の引き出しとして増えていくから。

 

そしてそれは次回の過去問で実践することで、

単なるセオリーではなく、

実際に落とし込めるようにしてもらう。

 

それを繰り返して再現性を高める事によって、

自分の力で出来るようになっていく。

 

まあこんなのは言うまでもなく、

当たり前にやるべき事。

 

馬鹿の一つ覚えみたいに、

とりあえず解くなんて、

スタートラインにも立てていない。

 

ケアレスミス

この人はケアレスミスがメチャクチャ多かった。

 

解けるはずだった問題での失点。

これをケアレスミスの定義とすると、

10~15%は毎回やらかす。

 

能動と受動を見誤る。

notを抜かして読む。

似たスペルの単語を見間違える。

ちゃんと読めばわかるのに、

主観が強すぎて取り違える。

ちょっと読んで勝手に推測して文末まで読まない。

時制を誤る。

ちゃんと読めば分かるはずの代名詞も、

明確にしないで読み進めてしまう。

などなど。

 

とにかくメチャクチャ多いし、

何かしらやらかす。

 

こんなんで10~15%も落とすなんて、

死ぬほどアホらしい。

 

しかもこういうミスをキッカケに、

その後が読みにくくなることもあるだろう。

 

そう考えると潜在的には、

もっと失点に繋がっていてもおかしくない。

 

先ほどの通り試験というのは、

限られた時間で自分の最大限点数取らなきゃいけない。

 

仮に80%取れる力があっても、

ケアレスミスで70%しか取れない人。

 

75%しか取る力がないけど、

75%キッチリ取れる人。

 

前者は負けて後者が勝つ。

 

圧倒的な力が付けば、

ケアレスミスなんて関係ない。

 

しかしボーダーを争う時ほど、

これは致命傷になる。

 

それに自分の力を10~15%、

頑張って高めようとするよりも、

シンプルにケアレスミスを減らす方が、

手っ取り早い。

 

それはこの人の場合もそうだった。

 

法政で47%だったけど、

ケアレスミスがなければ、

60%くらいにはなる。

 

勿論たらればで済ませていては、

何も解決にはならない。

 

だからケアレスミスを、

限りなく0に近づけていった。

 

何でそれをするのか?

どうしたらそれはなくなるのか?

実際過去問解いて減らせてるか?

また繰り返したなら何でそうなる?

次はどうする?

 

毎日この繰り返し。

 

やらかしたケアレスミスを洗い出し、

その原因を全部挙げさせて、

そこへの対策を立てさせる。

 

当然そこへのサポートはしてるけど、

初めからは教えない。

 

自分で減らそうと思って動かなければ、

何度でも繰り返すから。

 

まずは考えさせて、

そこでの手助けをする感じ。

 

ケアレスミスなんて、

程度の差こそあれ殆どの人がやる。

 

それを「やっちゃった」で済ますか、

ゼロにしようと動くか。

 

「やっちゃった」で済ませれば、

それは治ることはない。

 

実力が付いて簡単な問題では減っても、

いっぱいいっぱいになれば、

きっとやらかす。

 

それが大事な時、

つまり本番なら?

 

そういう意識でやらなきゃいけない。

 

何のために演習したり過去問を解くか。

ここに対して目的意識が持てていれば、

当たり前のようにそうなるはず。

 

別に特別なことではない。

 

なのに目的意識なくボーっとやるから、

いつまでも放置して、

いつまでも同じことを繰り返す。

 

こういうのは落ちに行くようなものってこと。

成績を上げるツボを押さえた学習の継続

成績を上げるツボを押さえた学習。

これは過去問を始めても継続してもらった。

 

いくら過去問を上手く使おうが、

地力がゼロなら何にもならない。

 

極論言うと地力があれば、

過去問なんてやらなくても、

余裕で点数は取れるんだ。

 

偏差値70の人が偏差値50の試験を受ければ、

対策なんかなくても高得点は間違いない。

 

こういうイメージを持つと、

分かりやすいかもしれない。

 

だから地力は伸ばせるだけ伸ばした方が良い。

というかその分だけ楽になる。

 

結局は”地力”×”過去問の使い方”だ。

 

地力が皆無なのに過去問やっても、

そりゃゼロに何を掛けてもゼロと同じ。

 

「なんで点数伸びると思った?」

というくらいの話にしかならない。

 

この人の場合は過去問に入る前段階で、

単語・文法・文構造の取り方は、

着実に出来るようにはなっていた。

 

とはいえまだまだ発展途上だし、

満足できるレベルじゃない。

 

伸ばせる余地はクソほどあるのだから、

これは当然継続すべき。

 

一方で取り組みを見直し、

改善しなきゃいけない部分もあった。

 

それは先述の通り復習ありきでも、

意味不明な日本語で満足したりもしていたから。

 

だから文構造を取るのは出来ても、

意味も含めた英文解釈全体においては、

それなりに粗さがある。

 

だからそこは改善する。

 

厳密に言うとグチグチと口出ししながら、

無理矢理にでも改善させる。

 

それに長文における”成績を上げるツボ”は、

過去問においても通ずる部分が多々ある。

 

ここまで話した過去問の取り組みとは別で、

それも勿論やってもらう。

 

これも憎たらしい姑の如く、

「これやってる?」

「何を意識して?」

「その意図を自分の言葉で説明して」

「今自分の口で言った状態になってる?」

といった様子で確認の連続。

 

全てにおいて目的意識を明確にさせて、

成績を上げるツボを押さえた学習を、

フルでしてもらうようにしていった。

 

こうやって地力をメキメキと付ける。

そこに過去問の取り組みを乗っけて行く。

 

これが”地力”×”過去問の使い方”になる。

 

何も特別なことなんてない。

至って普通のことを普通にやってるだけ。

 

小手先のテクニックなんかいらない。

 

枝葉じゃなく幹を見て、

それを切り倒す。

 

ただそれだけのことをしていれば、

この人のように勝手に力は付いていくってこと。

 

全部の意識が激変

とまあそんなこんなで1ヵ月弱。

毎日のように色々と言い続けた。

 

心底ウザかっただろう。

嫌なことを言った自覚もある。

 

ちゃんとハッキリ言わないと、

直らないと思ったんだ。

 

けど慶應商で8割超えたあたりでは、

明らかに別人になっていた。

 

最早それは質問からでも見て取れる。

 

自分の意見がまるでない、

完全受け身状態だったのが、

自分で考えるようになった。

 

こうすればもっと良くなるんじゃないかって、

そういう意図を今ではかなり感じられる。

 

つまり言われる前に考えるようになったってこと。

口うるさく言い続けた甲斐があったってもんだ。

 

結局過去問を解くのも、

入試を受けるのも自分。

 

それまでのサポートはこちらで出来ても、

いざ問題を解くときには、

誰も手助けしてくれない。

 

その場で自分で考えて、

神経研ぎ澄ませて、

点数を稼がなきゃいけない。

 

それを普段からやれるほど、

当然本番でもやりやすい。

 

普段ボーっとやっていて、

浅い中身のない取り組みをすれば、

相応の結果になる

 

日頃の学習も、

過去問解く際も、

その復習でも、

全ての取り組み方が能動的になった。

 

全てにおいて確実に意識が変わったこと。

 

その変化は点数増に大きく寄与したと思うし、

これから第一志望の慶應法合格に向けても、

間違いなくプラスだろうな。

 

ここから感じたこと

やっぱり中身って大切だよね

この話をまとめていて、

改めて感じたことがある。

 

勉強の中身ってやはり重要だってこと。

 

頑張る。

こんなのはみんなやることだ。

 

大事なのは頑張り方。

ここで差が付く。

 

そこが正しい方向に向けば、

一気に伸びる。

 

誤った方向に向けば、

迷走する。

 

それは模試で偏差値を取るにしても、

過去問・入試で点数を取るにしても、

共通して言えること。

 

今回お伝えしたのって、

すご~く当たり前な事。

 

特に過去問への取り組みにおいては、

”成績を上げるツボ”に該当しないくらい。

 

初歩の初歩の初歩。

 

出来て当然。

呼吸するのと同じくらい。

 

でも多くは呼吸すら出来てない。

 

更に”成績を上げるツボ”の分、

差が付くことになる。

 

これもまた”お勉強”と”受験勉強”の違い。

 

もしも今あなたが伸びなくて悩んでるなら、

それはこの人より頭が悪いからじゃない。

 

単に”お勉強”してるから。

この人は”受験勉強”してるだけ。

 

これ以上なくシンプルじゃない?

 

折角このラインを追加してくれて、

ここまで読んでくれたのだから、

是非”受験勉強”をしてほしい。

 

そう思っている。

 

ということで、頑張ってください。