今回は合格体験記の2本目。
テーマ:やり方の最適化
ピックアップ事例:12月まで日本史初学で慶應法・文に合格
体験記①の”優先順位の最適化”にて、
こういう表現をしたと思う。
「そもそも土俵が違う」
あなたがこれまで考えてきたやるべきことを全部やってる訳じゃない。
コスパによって切り捨て、やり方で優先順位を圧縮もする。
すると慶應なんて3か月もあれば十分やること終わる程度なもの。
”受験神話的発想に基づく優先順位”
”脱・受験神話的発想に基づく優先順位”
これらはまるで別物なんだ、と。
この”土俵が違う”って話。
”やり方”においてはさらに顕著かもしれない。
一つ例を出してみようか。
英文法ひとつ取って話しても
・段階的にとかやらなくていい(高1でも高2でも関係ない)
・問題集は早慶レベルまで対応の1冊のみ(英頻とか)
・○○的用法、~節、同格とかそんな言葉一つも分からなくていい
(解釈でもそんなの知らなくても和訳満点取れる)
・問題文を全部読む、全部訳すとかアホ
・1問3秒で進められる
こんなんで文法満点取れるよ。
基礎~早慶レベルまで1冊、
2か月でも全部完成させられる。
”教育”として正しいかは知らんw
けど僕は教育者じゃない。
単なる”偏差値屋”みたいなもの。
別にその”教育的な正しさ”に、
意味も価値も見出してない。
何となくイメージ湧くかな?
受験神話と脱・受験神話。
この両者では、
そもそも勉強に対して求めてるものが違うわけ。
それ故に、
発想・早さ・成果全てが大きく変わってくる。
脱・受験神話すれば2か月前後で済むことに、
受験神話では平気で半年や1年以上かけている。
そりゃ目に見えるやり方以上に、
もっと根本から何かが違うに決まってるだろ。
種も仕掛けもなくて、
そんな差が生まれるわけないんだから。
そこには当然、大きなカラクリがある。
今回はそれを解き明かしていこう。
やり方の最適化とは何か
”やり方の最適化”
これは言い換えると、
勉強法を”受験仕様”に切り替える
ってことになる。
「受験仕様?すでにそうなってるけど?」
「今やってる勉強と何が違うの?」
こう思ったか?
そうだな。
確かに多くの人は受験仕様の勉強を、
”しよう”とはしてると思う。
けど、”受験神話の範疇”で、だろ?
この”受験神話の範疇”を超えてなきゃ、
本当の”受験仕様”には辿り着けない。
実際にこれから見てもらう内容を通じて、
その違いは明確になっていく。
読み終える頃には、
“受験仕様”という言葉の意味と、
その破壊力がきっと分かっているはずだ。
脱・受験神話では、
過激なまでに受験仕様に切り替える。
受験神話みたいな、
”生ぬるい受験仕様”とは違う。
「受かれば何だっていい」
「成績向上・志望校合格“以外の”勉強的意義なんて捨てる」
それくらいドラスティック。
「既にそうやってるよ(受験神話の範疇で)」
こんな考えはもちろんナンセンスね。
そういう次元で話してないからさ。
この”受験仕様に切り替える”ってどういうことか。
まずは、これを今から深堀していく。
あなたの受験が再定義され、
今までと違う扉が開くはずだ。
勉強と”受験”勉強 そして”受験”勉強とは・・・
そもそもあなたがするべきは、
単なる勉強じゃない。
”受験”勉強だ。
この”受験”勉強とは、
成績を上げ志望校に受かることが目的なはず。
大前提としてこの軸がある。
趣味として何かを学ぶとか
教養を身に着けるとか
学問的にだとか
もしこういうもののためだと言うなら、
”大学受験用の問題集”なんて、
やる必要なんてないんだよ。
あなたはすでに単語帳やら、
参考書・問題集を少なからず買っていると思う。
そしてそれは”大学受験用”だろ?
その時点で他のどんな目的よりまずは、
”大学受験として”成績を上げ志望校に受かる、
ということが念頭にある。
じゃなきゃ思考と行動の破綻だ。
当たり前に聞こえるかもしれないな。
けど、ここに立ち返ることが重要。
ここから解像度を上げていく。
成績を上げること。
志望校に受かること。
どちらも試験で高得点を取ることと同義になる。
模試で点数が高い=高偏差値・好成績
入試で点数が高い=合格
こうやって整理すると、
あなたが勉強している理由は、
”点数を取れるようにするため”なんだよ
つまり、点数が全て。
そこには綺麗ごとも情もない。
点数を取ったもの勝ち。
それが受験であり、試験というものだ。
しかし、この見方を変えれば・・・
”点数さえ取れれば何でもあり”でもある。
手段問わず、ってやつ。
どんなやり方でも。
どんなプロセスでも。
試験で点を多く取れればそれでいい。
そのやり方で得た知識は、
教育的観点に反してるから駄目ですね。
とか、こんなことはないわけ。
試験で求められる解答=得点
そこに至る勉強法のプロセスは関係ない。
あなたが頑張って勉強したかどうかも関係ない。
結局、1点は1点。
点数取った人が勝ち。
だからな・・・
受験なんて点取りゲームなんだよ。
まずあなたは、
この価値観を受け入れなきゃいけない。
くだらない綺麗ごとや、
取るに足らない理想論とか、
感情論は脇に置いてね。
点を取って成績を上げる・志望校に合格する。
これこそが、受験生の責務だから。
”上手く点を取れるようにすること”
これが受験勉強の真の正攻法であり、
あなたが目指すべき姿。
どれだけ大学受験という、
点取りゲームに適合できるか。
そこに振り切り徹底することが、
”受験仕様”に切り替えるってこと。
”やり方の最適化”では、
点を取ることだけ考えて設計されている。
これが具体的にどういうことか。
下段で説明しよう。
ここから先、
どんどん受験神話と一線を画していく。
「受験神話と脱・受験神話では”土俵が違う”」
この意味が、良く分かるだろう。
点取りゲームへの適合とは
イメージを持つうえでこんな風に考えて欲しい。
例えば英語で言えば、
英語を学ぶ・出来るようにするんじゃない。
”受験英語”の中で点数を取れるようにする。
ここにひたすら忠実になること。
それが点取りゲームへの適合の第一歩だ。
そもそも大学受験では
覚えるべきことも
出来るようになるべき考え方・解き方も
全部決まっている。
それはつまり、
”点になる知識と点の取り方”は、
予め決まってるってことだ。
それ以外は、どうでもいい=ノイズになる。
仮に教育や教養として有意義であろうと関係ない。
点数にならなきゃノイズ。
点になるか、それ以外か。
これが点取りゲームで唯一のルール。
この赤い部分までやるのと、
白い部分だけやるの。
どっちが点数取りやすいよ?
当たり前に白い部分、
点になることだけだよな?
だからシンプルに考えると、
”点になる引き出し”を増やすことだけすればいい。
しかもこれだって大層なものじゃない。
地頭の良さ?思考力?
いらんいらん、そんなの。
「ここにこうあるから、答えはこれ」
「こういう場合はこうやって処理する」
こんな程度のパターンゲーだから。
ここに、頭の良し悪し関係ないだろ。
小学生でも通学路を覚えられるんだ。
繰り返してれば誰だって出来るようになる。
ぶっちゃけ大学受験なんて、こんなもん。
これで点数取れるように出来ている。
そういう”試験構造”なんだよ。
早慶だろうが模試であろうがね。
そうやって作られてんの。
その仕組みに乗っかる方が、
早い・確実・安心だろ。
だから”点になる引き出し”を増やす。
これだけに重点を置いてやる。
そういうやり方がかなり効くわけ。
これが点取りゲームへの適合ってやつ。
そしてそれを突き詰めたのが、
やり方の最適化だ。
単に勉強するんじゃない。
”点数を取る”という、
試験の原理原則に基づいた勉強をする。
そこには点になる引き出しを増やす。
これが一番早くて効く。
こんな風に考えたことなかっただろ?
受験神話では教わらないからな。
だから「”受験仕様”に切り替えろ」と、
何度も言っているんだ。
そういう勉強をすれば、
短い期間でも簡単に点数を取るようになるよ。
凄く単純だと思わないか?
ここまで当たり前なことしか言ってない。
だけど、信じられないかもしれないな。
あなたが受験神話に染まってるほど、
「いや、そんな簡単なわけないでしょ」と、
こんな風に感じることだろう。
それも仕方がない。
受験神話は本来の受験を、
かなり複雑で膨大なものにしてしまっているから。
教科内容の理解とか
教育としての受験とか
ここでの話と受験神話とでは、
そもそも価値基準が違うわけだな。
冒頭の例をここでも使おうか。
「○○的用法とか知らなくてもいいよ」
「ここにこうあるから答えこれ、ってだけだから」
「それ以上も以下もねーよ」
学校や塾の現場で、
こんなこと言われるシーンを想像できるか?
できないんじゃないか?
その時点で点取りゲームに振り切れてないし、
他の”教育的何か”をどこかで尊重してるってことだ。
そんなんで効率的な勉強なんてできる訳ないだろ。
一つ一つ、あらゆるところでこの差が生まれる。
要するに、やることも、やり方も、無駄だらけ。
だから”受験神話的な範疇”でいくら工夫しようが、
どれだけ効率化しようが、
そんなものはたかがしれてるんだよ。
その中での受験仕様な勉強とかも、
ドングリの背比べでしかない。
”受験神話的な範疇”にいる時点で、
大して効率化なんてできない。
残念だけどそれが現実。
その行き着く先は・・・
地頭が支配的な要素になってしまう。
これは”受験神話の宿命”。
受け入れるしかない。
もしあなたが一握りの地頭強者でないなら・・・
その戦い方を選ぶ=鈍行列車への乗車決定だ。
だから冒頭でも言ったはず。
受験神話と脱・受験神話。
これらは土俵が違うんだって。
点取りゲームになってない受験神話
点取りゲームに振り切った脱・受験神話
そもそもの考え方から、やり方まで。
何もかも全部違う。
枠組みとしては同じ”大学受験”。
そこは間違いない。
けど、そのルールの認識や戦い方の発想は別物。
だから結果的に”別競技”のような差を、
生むことになってしまう。
こんな風に考えてみてほしい
みんなで同じマラソンコースを走って競っている。
でも「規定のコースで走ってください」と、
ハッキリ言われてるわけじゃない。
そんな時に、
「え、こっちから行く方が早くね?」と、
別コースを見つけて他より早く、
一直線にゴールしたとするよね。
別にこれはズルじゃないじゃん。
コースについて暗黙の了解はあっても、
明確に規定はされてなかったんだから。
そんな正直にみんなと同じコースを、
みんなと同じように走る必要はない。
寧ろそれで遠回りしてタイム遅くなって。
そのうえ疲れるってアホじゃね?という。
けど、こうなってくるとやってること別物でしょ?
別コースで突っ切ってゴールする方が、
真正面から競争するより早いに決まってるし。
それこそ別競技のような差になるかもしれない。
馬鹿正直に遠回りなコースを走ってきた人に・・・
そのタイム差がどうして生まれたかなんて、
到底理解できないんだよ。
別コースがあることも知らなきゃ、
それを使って出し抜こうって考えにもならないし、
それがどれほどタイム差を生むかも分からない。
受験神話と脱・受験神話の関係もこれと同じ。
受験神話の発想や常識で、
脱・受験神話を測ろうとすることが間違い。
別の土俵にいながら理解できるはずがないんだ。
冒頭であんな話をした意味が分かっただろう。
別の土俵だし別競技。
このニュアンスを続いては、
合格体験記で実感してもらおう。
「これほどまでに違うか」
こう感じるはず。
あなたがどんな戦い方を選ぶべきか。
これまでいかに受験仕様になっていなかったか。
嫌というほど良く分かると思うよ。
合格体験記
前回と同じく、
LINEのやり取り画面録画を、
ページ最下部に貼ってある。
しかしいきなりそこに飛びつくではなく、
この先を順を追って確認していって欲しい。
その方が単に画面録画だけ見るより、
はるかに多くを得られるから。
そこにあたり、
やり取りのスクショは随所に挟みつつお届けする。
まず初めにこの方について、
改めて簡単に紹介しておこう。
”12月に日本史初学で慶應法・文に合格”
表面だけ切り取ると、
日本史だけの話に見えるかもしれない。
でも本質はそこじゃない。
本当に伝えたいのは、
日本史がどうこうじゃなくて——
受験仕様の勉強法がどれほど効果的で、
どれだけ優位性に溢れているかだ。
それを示す分かりやすい実例が、
たまたま日本史だっただけ。
本質自体は英語でも同じ。
もちろん世界史でだって言えること。
科目どうこうの次元じゃない。
じゃあ指導開始までの経緯から、
何をして得意にしたかまで。
何をどうして、
どうなったのか、
順を追って見ていこう。
指導開始前後
まずこの方が日本史の勉強を始めたのは12/10。
これは高2の12月ではなく受験直前の12月。
まあ遅いよなw
どう考えても遅い。
こちらに連絡を頂いたのが12/17。
この時点ではまだ指導していたわけじゃない。
公式ライン追加時に配布した、
あなたも受け取った無料マニュアルで、
それまで勉強していたらしい。
その質問で連絡をしてきた。
以下、そのスクショ。
長いから2枚分ね。
ちなみにこのタイミングで、
質問受付は締め切っていた。
勝手に送ってきただけ。
またそれは指導の受付に関しても同様。
この方はその期限も過ぎてもいた。
基本的には期限過ぎた人は受け付けない。
スルーが原則。
これはラインマガジンでのスタンス踏襲。
その場のチャンスをものにしようとしない人に、
わざわざ再度手を差し伸べる理由はない。
勝手にしてくれってなもんだ。
だから正直、無視でも良かったんだけどね。
けど・・・
ここでは受け入れた。
あくまでも”特例”として。
その理由は2つ。
まず英語が出来なくはないってこと。
次に日本史は僕の無料マニュアル通り、
初学でも講義系をやらず問題ベースで進めて、
4日でセンター73点まできたこと。
(この4日は日本史だけやってたらしいが)
この2点から、
「こりゃ不合格になるの勿体ないな」と感じ、
指導を買って出ることにした。
12月に日本史が初学で慶法合格、
この事例を作りたい下心もあったけどな。
じゃなきゃ期限過ぎてるし余裕でスルーだ。
そうして指導開始が12/18。
英語が悪くなかったとはいえ、
言ってもまだ慶法7割程度。
決して高くはないし、
年度によっては少し心許ない。
残り時間を全て日本史に振り切れるほど、
仕上がっているというわけじゃない。
「英社揃ってたらいけるかな」という、
せいぜい及第点くらいなもん。
この時点の評価としては
・まだ英語も上げなきゃいけない
・日本史は急ピッチでぶち上げ必須
こういう印象だった。
だから英語で引っ張り上げて合格できたのではない。
ちゃんと日本史を間に合わせて合格レベルに仕上げた。
点数の推移も、
都度報告してくれてたから、
この先で貼っていく。
それ見れば日本史が仕上がっていく様を、
リアルに感じてもらえるだろう。
「これくらいの期間でこれくらいになるんだな」とね。
慶應の入試までは2か月。
だが1月末から入試があったので、
勉強に集中できる期間としては、
実質1か月半とかしかない。
その短い期間で、
”日本史を慶法の合格ライン”まで持っていく。
そんな風に始まった。
受験までにやったこと
①ヒストリア
②標準問題精講
③実力をつける100題
④現代史(終盤から)
+過去問
①~③は同時並行。
指導開始から最後まで。
トータル10周ほど。
④は1月下旬に追加で2周ほど。
この方は日本史の勉強を始めた12/10から、
最後まで講義系や教科書を一切やってない。
終始一貫して問題集で済ませたことになる。
(過去問はやったが)
さて、この事実は示唆に富んでいる。
ここでこれまでの話を思い出してほしい。
受験は点取りゲームだ。
試験で求められることに適合し、
点になる引き出しを作ればいい。
そうだったよな?
その”点になる引き出し”は、
問題集で全部作れるってことだよ。
それも爆速でね。
(英語なら単語帳は別で必要だが)
いや、正確には違うな。
問題集だからこそ・・・
その引き出しを作りやすく、
卑怯なほど速く完成させられる。
”試験であるべき姿を逆算”すれば、
それこそが”やり方の最適化”になる。
もう分かってると思うが・・・
日本史は歴史を学ぶんじゃないぞ?
日本史という科目の中で、
”点の取り方”を身に着けるんだ。
(世界史でも同様)
点になる引き出し >>>>> 歴史に対する理解
短期で成績上げたきゃこれに尽きる。
頭でっかちに理解だとか背景だとか。
そんなものじゃないんだよ。
もっとシンプルで簡単な話さ。
試験で点数を取るために求められていること。
ここに適合すれば、点は取れるようになれる。
実際にこの方に指導開始直後お送りした、
”ツボ”のPDFをご覧いただいた際、
こんな風に送ってくれた。
先に理解することはいらない
出題パターン
解法のストック
その通りだ。
私文攻略するならこれだよ。
だから何度でも言うぞ。
点になる引き出し >>> 歴史に対する理解
そりゃ教養としては身に付かないよ?
受験終わったら余裕で全部抜けるし。
「本当に受験した?」
こう疑われるくらいにしか残らない。
それでもいいんだよ。
だって”受かるため”に勉強してんだろ?
だったら綺麗ごと言ってんなよ。
甘ったれんな。
そんな温室的な考え方はゴミ箱ぽい。
点数点数点数、非情なまでに点数で割り切る。
本当の意味で受験仕様に切り替えるって、
こういうことだろ。
でもそのおかげで、
せこせこ理解を追って汗流してきた人を、
「ここにこうあるから、答えこれ」と、
こんな解き方でザクザク出し抜いていく。
どうだ?
別の土俵・別の競技感を、
ヒシヒシ感じ始めたんじゃないか?
そもそも向いてる方向も、
走ってる方向も違うだろ。
受験神話とは。
教科書?
講義系?
一問一答?
用語集?
資料集?
「まずは基礎から~」だと?
いらんな。
どれもいらん。
おせえおせえ。
何がしたいんだよ。
問題集の中で点になる引き出しを作れ。
たったそれだけで受験日本史(世界史)は攻略完了。
簡単なゲームさ。
大したもんじゃない。
こんな風に言っている意味も、
下段の点数推移や受験後の感想を見れば、
きっと納得するだろう。
点数の上昇と受験の感想
勉強開始が12/10。
指導開始が12/18。
次いで1/7時点で、問題集が5周半。
ここで過去問をやってその進捗を送ってくれた。
それがこれ
⇩
⇩
⇩
勉強開始から約1か月。
指導開始から約3週間
ここまでは来た。
もうちょいだな。
でも、軌道には乗ってる。
後は問題集5周半から、
もう少し回せば目標に届く。
これが2/6
⇩
⇩
⇩
ここまでくればほぼ大丈夫。
英語は出来なくないし、
過去問対策も施した。
十分トータル合格ラインに乗る水準。
短い時間の中で出来ることはやったほうだろう。
で、本番がこうなった。
⇩
⇩
⇩
文が補欠B(後日、繰り上げで合格)
法が合格
SFCが不合格
受験合否はこうなった。
SFCは対策不足だった感があるが、
志望度高い法と文に重点置いてやるのは、
少ない時間の中では正解だっただろう。
けどここでは、
その結果について主張したいわけじゃない。
いただいたコメントこそ、
今あなたが注目すべきもの。
「日本史は問題集回しのアウトプット勉強でおかげさまで本番自己採78点でした」
まずは、これ。
別に「78点が高いだろ!」なんて、
しょうもないことが言いたいんじゃないよ。
体験記①でお見せしたように、
慶大プレ2位の方もいたし、
慶應で9割以上取る方が他にも複数いた。
それと比べれば、
この程度は大した点数じゃない。
注目すべきはそこじゃなくて
「1か月半でも、ここまで来れる」
ってことだよ。
慶應の試験レベルってそんなもの。
「極めて程度が低い」
こう言わざるを得ない試験構造の欠陥。
教育的な観点で大切な事とか、
点にならないことを削ぎ落とし、
試験に適合して勉強する。
それができたら取って付けでも、
点の取り方を詰めて間に合っちゃう。
真面目にやってきた人がアホらしくね?
そんな”正直者が馬鹿を見る”仕組みになっている。
こういうことを示す良い例になる。
英語だって勉強しながらだからね。
上に貼ったスクショを見てもらえば分かるだろう。
「英語に関しては法の方が対策に差が付けやすくまた点数も安定するように感じました」
こうあるように慶應法の過去問対策など、
英語のやり取りもしてきた。
話が分散するから、
ここで詳しくその話はしてない。
けどこの先にある画面録画を見てもらえば、
そのやり取りも確認できる。
それに浪人不可だったこともあり、
志望度高くはないSFCのほかにも、
滑り止めの関関同立の過去問もやっている。
スクショも貼ったけど、
インフルで体調崩してダウンしてる日もあった。
1か月半ずーっと日本史だけやってたわけじゃない。
やることは他にもあった。
体調的に勉強できず潰れる日もあった。
そんな限られた時間の中でも、
”やり方”次第でこうなれる。
問題集ベースの勉強だから、
それは成立させられた。
それを可能にしたのは決して教科書じゃない。
上に貼った慶應文の報告メッセージで、
こう送ってくれているのが全てだ。
「学校が教科書読め読めとうるさかったんですが私文には要らないと確信できましたw」
こんなの脱・受験神話のリアルな声だろ。
だから、いらねーんだって。
問題集だけの方が早いし強いからさ。
さて、どう思う?
”受験”勉強ってこういうことだと思わないか?
点取りゲームを攻略する。
その目的を果たすことが”受験”仕様の勉強だろ。
受かるためにやってるんだから。
一方であなたの勉強はどうだ?
”受験”仕様になってるか?
ここで話した、
”1か月半~2か月弱”とか、
”日本史”とか。
注目してほしいのはそこじゃないよ。
期間については個人差もある。
全員が同じ時間でとは言ってないし、
より早い人も遅い人もいる。
たとえば
・ゼロから始めて3週間足らずで河合全統記述で偏差値72まで伸ばした方
・3か月がんばって、今回紹介した方のレベルにようやく届いた方
昨年の中でもこういう幅がある。
そりゃ多少の前後はあるさ。
それ差し引いても・・・
”受験仕様”の勉強が出来たら、
結果なんて簡単に出ると思わないか?
あなたが今までやろうとしてた勉強。
受験神話色の濃い勉強が、
どれだけ受験を煩雑で面倒なものにしているか。
是非この点に注目してほしい。
それは日本史じゃなく英語でだって同じ。
もちろん世界史も。
受験仕様の勉強法に切り替える。
つまり、やり方の最適化を図る。
この優位性のカラクリと再現手順について。
下段でまとめよう。
”受験仕様”による優位性のカラクリと再現手順
”受験仕様”による戦い方が如何に強力で有効か。
それはここまでで十分に分かってくれただろう。
そして、
あなたが選ぶべき戦い方がどこにあるか。
これもまた感じ取ってくれたはずだ。
とはいえ、
まだそこのカラクリやそれをどう再現するのか、
ここについては明確に触れてなかった。
今回の合格体験記の総まとめとして、
以下の内容を見ていこう。
・地頭に頼らない再現性
・点取り特化だから早く強い
・「段階的に~」が限りなく省ける
・優先順位を圧縮できる
・どうやって再現できるようにするか
よりここでの解像度を上げて、
体験記③をご覧になってほしい。
地頭に頼らない再現性
勉強と聞けば頭が良い悪いという表現が常。
勉強が得意=頭が良い
勉強が苦手=頭が悪い
どうしたってこう考えられがち。
特に受験神話的な戦い方をしていれば、
そう思うのはある種で避けられない。
だって地頭が支配的要素、
こうなるような勉強をしてるじゃん。
受験仕様に振り切ってやろうともせず。
同じ方向を向いて、同じようにやって。
その中でポンっと頭抜けるのは地頭いい奴だろ。
それ以外にどこで差が生まれるのよ。
勉強時間を増やしたって、
それは地頭より強い要素にはなりえない。
薄々これは気付いているかもしれないな。
地頭足りないのを埋めるとしたら、
その方法は勉強時間しかない。
せいぜいそんな認識じゃないか?
けど、”受験仕様”に切り替えられるほど、
地頭への依存度は限りなく低くなる。
もちろん駿台全国模試で全国1位を取るとか。
そういうレベルになれば多分必要なんだろうよ。
取ったことないから知らんけど。
早慶A判定やら短期間で合格やら。
ましてや、たかが河合で偏差値70~80とかさ。
その程度で構えすぎなんだよ。
こんなの地頭とかって大層な話じゃない。
誰だって目指せるし届くライン。
体験記①で紹介した方とかも、
きっとわかりやすい例になるだろう。
2年も1日6~8時間勉強して偏差値50とか。
言い方悪いが頭良くはないだろ。
それが3か月で慶應経済なんだから、
まあそんなもんよ。
体験記③で紹介する方は、
高校の偏差値46で現役生。
けど河合全統記述で英語偏差値80、
世界史も偏差値70以上あって、
慶應3学部に合格した。
(体験記③で模試成績載せてる)
昨年・一昨年と、
算数の通分すら出来ないって方が続いたが、
どちらも早慶2学部以上に合格してる。
小学校の通分で躓く人を、
地頭いいとは言わないだろ?さすがに。
かく言う僕も通分は出来ても、
簡単な因数分解で終わった。
小中高で教わる一般教養的なことは全然分からん。
けど慶應は3学部受かってる。
だから俗に言う”頭いい”みたいなのって必要ない。
あればそりゃいいかもしれない。
けど別になくてもいい。
何でかって?
何度も言ってきたよな。
機械的な処理作業だからだよ。
頭使って考える
頭使って理解する
頭使って解く
違う違う。
頭は使わないほどいい。
頭の良さっていうか、慣れ。
「この場合の答えはこれ」とか、
そんな慣れでしかない。
こういう反射出力は繰り返せば、
凡人でだって出来るようになる。
九九と同じ。
論理的に計算しても答え出せるけど、
覚えてたら反射でしょ。
そういう感じかな。
結局その延長線くらいのことしか、
ぶっちゃけ私文は求められてない。
高い偏差値取るのもその程度。
ほんとに陳腐な処理ゲーム。
それをどれだけ上手くできますかってだけ。
だからこそチャンスがある。
「自分には難しい」とか思う必要ない。
”受験仕様”の勉強には再現性がある。
いや、それは寧ろかなり高い。
単純に”受験仕様”って型にハマるだけ。
誰でもできるように作られてるんだ。
受験ってやつは。
だからお世辞にも頭が良い訳じゃない、
そんな人たちでさえ合格してる。
たまに受かる、
じゃなくて受かるのが当然レベルで。
これから”受験仕様”に切り替えるなら、
当然あなたにも出来ることだよ。
点取り特化だから早く強い
”点取り特化”
こう聞くと小手先に思えるかもしれない。
けど試験では点数を取ることが求められる。
これは紛れもない現実。
なら点数取ること”だけ”出来れば良いじゃん?
それ以外のことは出来なくたっていい。
駅の改札通りたければ、
改札にピってやるだけでいいのに、
それ以上を求めるか?
何でそれで改札通れる、とか必要か?
それと同じだよ。
求められることだけやればいいの。
至ってシンプル。
受験勉強なんて成績上げて志望校に受かる、
この目的に対する手段でしかないんだから。
その”手段以上の意義”なんていらない。
目的に対してど真ん中。
故に早く、成果に繋がる。
今回紹介した合格体験記なんか顕著だろ。
あの方は大学入試世界史の”試験に強い”だけ。
世界史に詳しいとか、
教養的知識があるとかではない。
”点になる知識と点の取り方”
この引き出しを効率よく作ったに過ぎない。
だから短期間で試験には強くなった。
けど、それ以外は身に付かない。
そういうやり方なんだ。
これは僕自身もそうだった。
慶應に進学後、
旅行好きな友達が世界各地を回っていた。
その度に、楽しそうに話してくれるんだよ。
「これ世界史に出てきたよな」みたいなことを。
申し訳ないんだけど、これが全然分からない。
そういう教養になる勉強してないからさ。
すると、その友達に言われるわけ。
「お前、本当に世界史選択だったの?w」って。
まあそう思うよな。
けど皮肉にも、
偏差値聞くと僕の方が高かったんだ・・・
これは世界史日本史に限らないよ。
英語だってそう。
”試験ができるだけ”
それ以外には何も残らない。
というか求めてもないね。
大事なのは点を取れるようにする。
この一点だけだから。
そこに振り切ってる分、
試験で結果を出すのは早いし強いよ。
これこそが”単なる勉強”とは一線を画した、
本当の意味での”受験”勉強。
ここまで読んでくれていたら、
この違いはもう分かるだろ。
”受験”勉強ができているほど、
あなたの努力は報われる。
ちゃんと結果と手応えになって返ってくる。
それが”受験”における正攻法だからね。
「段階的に~」が限りなく省ける
”点になる引き出し”を作る。
この中で、
いわゆる「段階的に~」と言われるものを、
かなり省くことができる。
今回の体験記で紹介した方は、
教科書も講義系もやってない。
定説では「まず流れを掴んで~」だが、
その真逆を行ってる。
「教科書読めって言われるけどいらなかった」
ご本人もこう仰ってるしな。
だから短い時間の中でも、
慶應合格レベルに仕上げられた。
じゃなきゃ間に合わないって。
体験記①の方もそうだ。
特に解釈の参考書であるポレポレは、
一定レベル以上の力がついてから、
取り組むことが推奨されているだろう。
けどこの方はそんなの無視してやった。
そのレベルにもなく、
しかも過去に挫折した経験がありながら、
指導開始後はこの1冊で解釈を終わらせた。
体験記③で紹介する方だってそう。
体験記①の方以上に出来なかったが、
初めから文法は英頻しかやってないし、
解釈はポレポレより高度であろう英文解釈教室を、
それぞれ各1冊で終始一貫した。
当然世界史は問題集のみ。
初っ端から受験終わるまで。
(過去問は別ね)
こういうことが日常茶飯事。
僕が教える人たちはみんなそうだ。
そんな真正面から段階的にとかやってない。
けどちゃんと成績上がるし受かってるんだよ。
どっちが間違ってるんかな?
逆に良く分からないよ。
なんで無駄な段階踏むの?
段階踏まなきゃできないって誰が決めたの?
先入観じゃないの?
いわゆる”前提”がないと身に付かない、
そんな発想なのだと思う。
けど”点になる引き出し”作る中で、
その前提はそもそも必要ないか、
意識せずとも組み込まれていく。
たとえば文法のto不定詞が何か、
こんなの知らなかったり説明できなくても、
文法問題は解けるし長文で出てきても訳せるよ。
「この問題の形的に、空所に入るの動詞の原形だな」とか
「この場合は、こうやって訳せばいいでしょ」とか
ただこれだけじゃん。
僕は河合で偏差値80までは行ったし、
文法は基本満点取れてたけど、
to不定詞を説明しろと言われたら出来ない。
「あの動詞原形が続くやつでしょ」
とかそんなもん。
ていうか、そこの理解なんて必要ないしね。
だから興味もない。
それが過去完了みたいなものだったとしても、
過去完了の”引き出し”を作る中で、
どういうものかは分かるようになる。
別に予め分かってなくても。
つまり段階的にとされることは、
基本的に必要ないことが多い。
もし必要な場合でもそれは、
”引き出し”を作る中で身についていくこと。
それを分断して段階踏む意味が分からない。
改札にピってやる前に、
改札とは何か?PASMOとは何か?とか、
そんなこと考えたり調べたりするタイプなの?
「あそこにこれピってやったら通れるよ」
これじゃあかんの?
通るだけなら、これが一番早くて楽じゃない?
とか思ったけど・・・
受験神話なら、
改札とは何か?とかやってそうだよねw
何でもかんでも型通り順を追って、
馬鹿みたいに全部丁寧にやるというか。
極端に言えば、
非効率が美徳で横着は悪っていうのかな。
「え、必要なのこれだけじゃん」
「そんな全部やる必要ある?」
みたいな発想はない。
どんくせーよな。
受験において”コスパ”って概念が弱すぎる。
だから受験神話は鈍行列車だって言うんだよ。
しかし”受験仕様”にシフトした時、
無駄な段階が排除される。
同時に体験記①で話したように、
優先順位の圧縮が可能になる。
この辺りを下段でお話ししよう。
ただ、その前に一つ補足だ。
段階的にとか無駄って言うと、
こんな風に誤解されることがある。
「基礎軽視ってこと?」と。
それは全然違う。
少し脱線してしまうが、
ここについて触れておこう。
補足:基礎軽視ではない
初めに言っておくが、
僕はかなり基礎重視型だ。
異常なくらい基礎にうるさい。
それなのに「基礎軽視」とか、
そんな風に感じてしまうのは何故か?
至って単純だよ。
受験神話か脱・受験神話か。
この見方の違いでしかない。
要は、実利ベースで見ているかどうか。
こう考えてもらうといいかもしれない。
繰り返すが試験は点数だ。
つまり受験勉強は点を取れるようにする作業。
確かに僕が話すやり方では、
基礎としては勉強してないかもしれない。
でも、”基礎問題”で点数を取れるようにはしてる。
”基礎問題”で点数を取れるようにすること。
これが僕にとっての基礎。
しかし俗に言う基礎では、
点にならないことも多分に含まれる。
それはつまりノイズだ。
このノイズも含めて基礎とされるし、
受験は一応教育としての位置づけだから、
「点が取れりゃ何でもいい」とは教えない。
~的用法みたいなこともやるし、
歴史はまず流れを押さえるとかとも言う。
それが基礎としての勉強なら、
僕はそのどちらもやってないし、
教え子にだってそんなことさせてない。
例えば~的用法なんて、
名前を知ってるだけで、
サッパリ何を言ってるか分からない。
なんか色々あるよね、よく知らないけど。
この程度の認識。
これは恐らく、
基礎が出来てないとか、
基礎を知らないだとか、
そう受験神話では捉えられるんだろう。
けど試験では点を取れる。
”基礎問題”では点数を落とさない。
だって考えてみ?
基礎問題をボロボロ落として、
早慶サクサク合格できるかい?
基礎問題でボロボロ失点すれば、
模試で偏差値70や80なんて届かないんだよ?
僕はただ「無駄な段階を省く」だけ。
基礎問題を取れるようにはやってる。
一冊の中で基礎問題含めて、
出来るようになれるなら、
別に段階追わなくても良くね?
こう言ってるだけだ。
点数になる引き出しを作るという、
”受験仕様”のやり方をすれば、
それが可能と言ってるだけ。
河合で偏差値70くらいは基礎だからね?
基礎問題さえできれば普通に届く。
早慶だって基礎問題さえできれば、
そこそこ良い勝負が出来てしまう。
そこに無駄な段階とかいらねーよって話。
だからこそ教え子たちが短期間でも、
成績を伸ばしたり逆転合格できているんだ。
頭でっかちでノイズにまみれて、
その程度で苦戦していることと、
果たしてどっちが基礎軽視かな?
点数という実利のみ追求する、脱・受験神話。
この観点で見ているかどうかが、
基礎軽視に見えるかどうかの差。
基礎ってレッテルが大切か?
それとも実利が大切か?
もしこの実利追及の考えに対し、
基礎軽視だと思うならそれはもはや・・・
「苦しんで努力することが善」のように、
結果を出すことではなく頑張ること自体が、
勉強の目的になっているかもしれないな。
恐らく僕はあなたよりも、
あなたが想像する何十倍も、
基礎重視型だと思うよ。
じゃあ話を戻そう。
やり方の最適化によって、
優先順位を圧縮することができる、
この話を下段でお伝えしていく。
優先順位を圧縮できる
体験記①でお話しした、
”優先順位の最適化”。
ここでは以下2通りの考えを示したと思う。
①「なんでもやる思考」の徹底除去
② やり方による優先順位の圧縮
”受験仕様”に切り替えると、
②の通り優先順位を圧縮できる。
ここまで読んでくれたあなたなら、
何となくイメージが沸くんじゃないか?
「そりゃそうだよな」と。
文法解釈にせよ。
世界史日本史にせよ。
何冊も段階を追うことがない。
けど、これは単純な冊数の話に留まらないよ。
そこに掛かる時間を大幅に削れる。
今回の体験記の方で考えてみてほしい。
教科書やって~とかさ。
それ終わったら一問一答やってとか。
そんなんやってたら落ちてね?
間に合ってたかね?
逆に言うとさ・・・
2か月弱でゼロから問題集だけで、
慶應法の合格ラインになった。
なのに受験神話ではそこに何段階入れて、
どれだけ時間使おうとしてんの?
ってことだよ。
”間延び”させてるだけじゃん。
ギュッとなるものに、
段階挟んでチンタラ時間使ってさ。
だから言ってるでしょ?
戦ってる土俵が違うって。
あなたが見聞きし必要だと信じてきたこと。
こんなの全部はやってないんだって。
もっとコンパクトにしてんのね。
しかもそのコンパクトにしたのを、
更に効率的にやってる。
それが”受験仕様”だから。
受かるための勉強。
そもそもの受験の捉え方も。
やってることも。
やり方も。
別の土俵にいるんだから、
その成果も別物になる。
こんなのは当たり前。
脱・受験神話が早いんじゃないよ。
本来の私文受験はその程度。
受験神話が絶望的に遅すぎて鈍いだけ。
勝手に自滅しちゃっている。
じゃあ、こっちの土俵で戦うにはどうするべきか?
それをもって今回の締めとしよう。
どうやって再現できるようにするか
”受験仕様”に切り替える。
この戦いの優位性はもう言うまでもないだろう。
どうやってそれを出来るようにするか?
それがここでのテーマ。
こんなのは簡単だよ。
そのやり方を教えれば普通に出来る。
単語はこうやって~
文法はこうやって~
などなど
説明する通りやってくれればいい。
何度も言ってきたけど引き出しを作るだけ。
この作業自体は難しくないし再現性も高い。
たったこれだけであなたの成績は変わる。
けど、それを伝えるのは今じゃないな。
実際のご指導でガッツリ、
ズレることのないように叩き込む。
本当に”受験仕様”のやり方、
それ自体は難しくない。
それでも今はまだ再現できない、
もしくは中途半端な形に終わってしまうだろう。
それはなぜか?
まだあなたの中に、
“受験神話的な捉え方”が、
根強く残っているせいだよ。
その毒素を抜くことが先決。
そもそも“やり方”というのは、
ポンと湧いて出てくるようなものじゃない。
「試験で求められていること」から逆算し、
そこに有効な形で構造化されたもの——
それが“やり方”だ。
そしてその大元には根幹となる思想がある。
つまり、こういうこと。
点取りゲーム的に受験を捉える
↓
その勉強(例:文法)で本当に必要なことを理解する
↓
何を身につけるべきか、どうやって処理すべきかが見える
↓
→ その結果として“やり方”が生まれる
あなたはまだこの入り口に触れたばかり。
いきなり完成形の“やり方”を手渡されても、
その真意は汲めない。
それだと表面だけすくった、
”似た何か”で終わってしまう。
根っこに受験神話が残ったままだと、
受験仕様になり切れない。
今この場で「これがやり方だよ」と、
ポンっと投げてしまう方が簡単さ。
でも、それは無責任でもある。
あなたが受験神話を抜け出すなら、
僕はそこへ責任を持たなきゃいけない。
ちゃんと脱・受験神話できるように。
中途半端な脱・受験神話はさせないよ。
だからご指導までの”準備”として、
受験神話の毒素を抜くべく、
この体験記で概要から長尺で説明している。
今回の内容を通じて”受験仕様”とは何か、
どういう考えに基づき、
どういう発想の下で展開されるものか、
この辺を一通りお話しした。
まずはここまでをちゃんと、
自分のものにして欲しい。
体験記①③も含めてだが、
受験神話的な考え・認識を、
可能な限り抜いておいて欲しい。
今あなたがすべきは、
”安易に”やり方を知ろうとすることじゃない。
ちゃんと体験記を読み込んで、
自分のモノにすることの方がよっぽど効果がある。
そこが出来てるほど、
ご指導に入ってからがスムーズになる。
”準備”として設けているこの体験記。
その意義を存分に果たして、
具体的な話ができる日を楽しみにしている。
では次に、体験記③をご覧ください。
高校偏差値は46。
高3序盤で慶應法A判定、10月の全統記述では英語偏差値80。
慶應法・商・総合政策に合格。
けど初めからできた訳ではなく、大きな失敗もした。
彼が何をしてどう変わっていったのか。
とくとご覧ください。
この体験記のやり取り画面録画はこちら⇩
サムネはやや見にくいですが、再生したらちゃんと見れます
続いて体験記③はこちら
高校偏差値46だけど全統記述英語偏差値80
慶應法、商、総合政策の全勝へ
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