「努力は裏切らない」
誰がこんな綺麗事を言い始めたんだろう。
こんなのは嘘。
多くの場合は簡単に裏切られる。
厳密に言うと裏切られる努力と裏切られない努力がある。
その中で前者が多いってこと。
marchや早慶目指しても、
結局は受けるレベルにすら届かない人も沢山いる。
受けても倍率を考えれば、
何人かに1人しか受からない。
marchは世代の上位10%で早慶は3%。
夢見て終わっちゃう人の方が多いに決まってる。
難儀だよね。
悲しいよね。
一生懸命勉強している人ほど、
そう感じるだろう。
でも、これが現実。
そんな程度の低い、報われない努力をするほうが悪い。
これは運が悪いでも頭が悪いでもない。
その人が持つ意識の問題。
努力っていうのは正しくしないと意味がない。
簡単に裏切られるような、
「見せかけの努力」なんて幾らしても自己満足。
さて、あなたはどうか?
本気で成績上げたいなら、
「見せかけの努力」は絶対するな。
余裕で落ちる。
「努力すれば受かる」と思うのは自由だ。
でも、それを単なる気休めとして使うのはもう止めよう。
もし今回の内容で思い当たる節があったり耳が痛かったりしたら、
これを機に認識を改めて今後の勉強に活かしてほしい。
テーマ:クソみたいな「努力」はするな
「努力」の捉え方
どっちが努力していると言える??
Aさん:1日10時間も勉強して偏差値60
Bさん:1日1時間しか勉強せず偏差値70
AさんとBさん。
どちらが努力をしていると思うだろうか??
ちょっと考えてみてほしい。
まずはAさん。
1日10時間も勉強している。
多くの場合は努力しているとみなされるだろう。
次にBさん。
Aさんより勉強時間がかなり少ない。
じゃあ努力していないのか?
それは違う。
偏差値70取れるくらいだ。
一定の努力なしでは取れないだろう。
つまり、AさんとBさん両方とも努力はしている。
「え、ズルい」、
こう思うかもしれない・・・
そこはすみません。
話の本質を伝えるために必要だったんだ。
ここからが本題。
AさんとBさん評価されるのはどっちか?
これが大事。
評価されるのはBさん。
そうなるはずだ。
偏差値70の方が偏差値60よりも当然凄い。
順当に行けばAさんよりも上の大学に受かるだろう。
きっと、あなたも同じように評価するのでは?
受験なんて結果出た者勝ち。
偏差値低い方が評価されるなんてことはない。
1時間でも偏差値70を取れるような勉強をしている。
それがBさん。
一方で、10時間やっても偏差値60しかとれない勉強をしている。
これがAさん。
つまり、努力には”質”があるってことになる。
確かに言葉だけ見れば同じ。
だから「努力してます」なんて口では誰でも言える。
でも、その中身は人によって違う。
「努力」という言葉は表層的で抽象的な表現でしかない。
凄くチープで何とも当てにならない言葉だ。
AさんとBさん。
あなたが目指すのはどちらだろうか?
僕はBさんを目指していていた。
なのでBさんになる方法しか知らない。
あなたもBさんを目指すなら、
「見せかけの努力」は絶対にしてはいけない。
では、「見せかけの努力」とは具体的に何なのか?
それを知る必要が出てくる。
見せかけの努力とは
「見せかけの努力」とは何なのか?
まずはそこから説明する。
見せかけの努力=中身がスカスカな取り組み
こう考えてもらえば分かりやすいだろう。
受験生の多くは努力の指標に勉強時間を用いる。
「どれくらい勉強すれば偏差値70になるのか?」
「march・早慶に合格するには何時間勉強すれば良いのか?」
これらは受験生にとって気になる情報なのかもしれない。
そして合格体験記なんかには「○○時間勉強した」などの情報も載っている。
実際に僕の所にも勉強時間に関する質問は多い。
「1日何時間やれば良いか?」のような類は結構来る。
でも、改めて受験勉強をする・努力をする目的を考えてみてほしい。
何のための勉強してる?
「偏差値を上げる、志望校に合格する」
これ以外にはないはずだ。
であれば、そこに直結する勉強をしなければ意味がない。
何時間やったかよりも、
如何に結果を出せる勉強をするか。
慶應でA判定出したい?
偏差値70取りたい?
これさえ出来れば超絶簡単。
その先には当然、志望校の合格もある。
1日10時間以上勉強してる?
朝から晩まで予備校にこもって勉強してる?
で?だからなに?
そんなことは関係ない。
鼻で笑っちゃうくらいにどうでもいい。
結果が出る勉強・取り組みが出来ていないなら、
それは漏れなく「見せかけの努力」。
成績を上げて志望校に受かる。
これが受験勉強の目的。
そうである以上は、
そこに適っていないなら120%見せかけと言わざるを得ない。
「たくさん勉強して偉いね!」
「ずっと予備校で勉強してて真面目だね」
こんな褒められ方してそんなに嬉しいか?
こんなことを言われて気持ち良くなっているのが、
一番しょーもない。
勉強時間こなして褒められるゲームでもしてるの?
寧ろ、それで大した結果出なくて虚しくならないの?
「今日いっぱい勉強した」
「こんだけやれば受かるでしょ」
こんな風に自分で勝手に納得しているのも、
クソほどしょーもないです。
いつから勉強時間を競う勝負になったの?
僕が知らないだけで入試って勉強時間の申告制なんだっけ?
安い気休めだな。
どれもあっさい、あっさい無駄な時間。
もはや・・・
努力している”フリ”と言っても過言ではない。
成績を上げる・志望校に受かる事が目的だったのに、
勉強時間をこなすことが目的になっている。
”野球選手になりたいのにサッカーの練習してる”
極端な話、これくらい目的と行動ズレている。
何のためにそれやってんの?
という目的意識が皆無。
「それをやっても目標は叶わないよ」
そんなことばっかり延々とやっている。
しかも、それで自己満足に浸ったりしている。
一生漢字ドリルでもやって自己満足に浸ってれば?
そう言いたくもなる。
ちょっと口が悪くて申し訳ない・・・
でも、こんな風に言うのには理由がある。
「見せかけの努力」をこき下ろした理由
敢えて先ほどは嫌な言い方をした。
不快に感じられたら申し訳ない。
でも理由がある。
あなたが「見せかけの努力」をしていないか。
それを判断してほしかったから。
もしもこれまでの話で耳が痛いとか、
思い当たる節があると感じてしまったら赤寄りの赤信号。
ブッチギリでアウト。
「見せかけの努力」は、
成績が上がらない人の典型的な特徴だから。
短時間でも出来る事なのに要領を得ず、
ダラダラ時間を掛けているだけ。
それを努力だと自分に言い聞かせて、
結果の出ない自分を慰める魔法をかけているだけ。
なのに、その長い勉強時間に誇りを持つ。
「きっといつかは成績上がる」、
なんて根拠のない気休めをしてしまう。
そのせいで根本原因を解決できず、
いつまで経っても思う様に成績が上がらない。
どんなに魔法をかけて仮面被っても、
模試や受験結果では化けの皮が剥がれるんだ。
空虚な一瞬の満足感と引き換えに、
結果を突きつけられた時に絶望する。
そこに今気付くか、
手遅れになってから気付くか。
何時間勉強しても予備校にどれだけ籠ろうと、
それは中身の濃い勉強をしてこそ。
意味のある勉強をどれだけやったか。
そこに掛かった時間が勉強時間となるに過ぎない。
勉強時間が目的で10時間やる。
意味のある勉強をやるのに掛かったのが結果的に10時間だった。
両者では時間こそ同じでも中身が違う。
もっと言えばそれが3時間しか掛からなかったとしても、
10時間やることを目的にするよりも遥かに意義深い。
勉強時間はあくまで結果として掛かった時間。
勉強している自分に酔う。
そんな自己満足は絶対にするな。
「努力」という美しい響きを持つ抽象的な言葉。
これに振り回されるのは今をもって止めて欲しい。
確実に結果に繋がる取り組みが出来てないなら、
そんなのはクソみたいな「見せかけの努力」。
そんな不毛なことはしないよう、
抽象的に努力しているか否かではなく、
ちゃんと結果が出る取り組みを出来ているかどうかで判断して頂きたい。
だからスケジュールを使う
結果が出る取り組みを出来ているかどうかを計る上で役立つのが、
直近のメッセージでお伝えしたセンターピンを撃ち抜く勉強。
今の自分に本当に必要で効果的な事をピンポイントでやる。
それを日々着実にやれるかどうか。
全ての判断基準はここにある。
その勉強をするのに掛かった時間=勉強時間。
こうなるに過ぎない。
「見せかけの努力」をしないためにも、
そして必ず結果を出すためにも、
センターピンを撃ち抜けるようなスケジュールを作成する。
そうすれば、それをこなせているかがペースメーカーになる。
だから勉強時間という不毛な指標に振り回されることもなくなる。
自分がちゃんと取りたい成績や志望校に向かって、
着実に前進できているかも可視化できる。
一日一日の勉強に確固たる意味を持たせる。
それを続けてれば間違いなく上手くいくという根拠を自分で作る。
それこそが「受かるかな、受かりたい」じゃなくて、
「是が非でも受かる」ということ。
センターピンを倒し続けて、
現時点~志望校合格まで一直線に歩んでほしい。
このあとオマケで「成績が伸びない人の特徴」を、
もう1つ簡単にお伝えする。
質問受付に絡んだものなので、
是非確認はしてほしい。
とはいえ、3分も掛からないくらい軽くだ。
負担なくスグに読み終わると思う。
追伸:質問に関して
何より最悪なのは
何度もお伝えしているが、
ラインマガジン配信中は質問にお答えしている。
ただ1つ勘違いしないで欲しいことがある。
それは、質問を無理強いしている訳じゃないってこと。
質問があれば送って欲しいとは思うが、
送らない奴はダメだ!なんて言うつもりは毛頭ない。
自分の思う様にやって上手く行く。
悩みがあっても自力で解決できる。
そういう人は質問なんて思い浮かばないだろう。
これはこれで全然OK、というのが僕のスタンスになる。
とはいえ多くの受験生と触れてきて、
強く感じたこともあったりする。
それは・・・
伸びない人は「分かったつもり」になり、
全ての対応が後手に回るということ。
分からないこと自体は何も恥ずかしい事じゃない。
聞けば解決するし、
そんなのは出来るようになれば良いだけ。
「分かってない事実に鈍感、もしくは甘い」
最悪なのは、文句なしでこれ。
こういう人は受験を舐めていたり、
「自分ならできる」と軽く考えていることが多い。
要するに”勘違い”が激しいタイプだ。
だから「こんな感じだろう」で済ませがち。
そして後になって何かしらのきっかけで、
「これでやり方合ってますか?」みたいに聞いてくる。
当然、間違っている。
これは目も当てられない。
それまでに掛けた時間を無駄にするだけ。
無論、結果も期待できない。
こうやって勘違いにより後手に回る人は、
どんどん自分の首が絞まっていく。
文字通り、”自滅”だ。
自分に自信があるのは良い事、
自信が無いのは悪い事のように語られるが、
一概にそうは言えないと個人的には思う。
自信がなければ慎重になる。
臆病になる。
これは確かに面倒を感じるかもしれない。
「自分要領悪いのかな」って思うかもしれない。
そりゃ自信満々で慎重にならずとも、
全て意のままに完璧にできる人が一番かもしれない。
でも「分かったつもり」で済ませて、
何も生まない時間を過ごすより100倍マシ。
ちゃんと聞ける人は必ず伸びる。
「分かったつもり」の勘違いよりも断然早く大きく伸びる。
僕だって死ぬほど臆病だ。
確かに合格に対する根拠のない自信は、
何故か常にあった。
でもそれを”根拠付きの不動の自信”に変えられたのは、
不安や臆病さに駆り立てられてやったおかげ。
元々かなり頭が悪い僕にとって、
この臆病さは本当に幸いだったと思う。
それがなきゃ単なるビッグマウスバカで、
「分かったつもり」と勘違いのまま終戦しただろう。
臆病な自分を受け入れ、
徹底的にやっていく。
超えた不安の数だけ、
最後に揺るぎない自信を手に出来る。
少し話が逸れたが、要するにこれが言いたい。
「分かったつもり」にはなるな。
自分で自分の首を絞めるのは止めよう。
もし質問があれば、
迷わず送って欲しい。
※日々大量に届くのでテンプレを置いておく。
⇩質問用テンプレ⇩
・質問:
・質問の背景:
・自分はどう考えているか