バカな高校生が慶應法学部に合格した方法~ビリギャル超えとか余裕~

K.O diary

学校や予備校では教えてくれない私立文系の受験勉強法

大学受験は非常で残酷だと思うか?甘ったれた事を言うのは止めにしよう

受験は努力とリターンが一致しやすい極めて平等なシステム

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あなたは受験が残酷だと思いますか?

 

残酷だと考える人の気持ちも分かります。

どれだけ努力しようが関係なく試験の点数だけで判断されるのですから非情、残酷なものという見方もできるでしょう。

 

部分的には同意できます。

しかし全体としては同意できません。

 

受験は極めて平等で公正な評価を下してくれる人を評価する仕組みだと思っています。

そこには理不尽や不正、不運、圧倒的な才能のような先天的資質など本人の意思ではどうにもできないような要素が基本的には絡んでこないからです。

(資質で言うと東大理三などは事情が違うのかもしれないが)

 

つまり、努力に応じてある程度のリターンが必ず見込めるものです。

日本でい一番努力して必ずしも日本で一番偏差値が高くなるという訳ではないにしても、トップ数%には入れることでしょう。

これはスポーツや音楽などとは決定的に異なります

 

もしも今受験が残酷だと思っているのであれば、それは是非考え直してほしいです。

受験を残酷と非難することは簡単ですが、他責にする時点であなたの成長が止まってしまいます。

自分の考えを改める事で、今よりも成長するチャンスも生まれるはずです。

 

なので、まずはあなたが今している受験勉強はすごく恵まれた平等な仕組みであることを認識しましょう。

 

これからお話しする内容を基に、本当に受験は残酷なのか考えてみて下さい。

非情だ、残酷だと音を上げるのはそれからでも遅くはないはずです。

 

この記事のポイント

・もしも今あなたが受験が残酷だと音を上げていても、これを読み終る時には考え直してより一層頑張れるようになっているはず。(と信じている)

 

 

【前提】受験が特別な物なんて思わない方が良い

世の中には自分の人生を決める出来事はたくさんある
ポイント!

・大学次第で人生が左右される以上、相応の努力が伴うことを認識しよう。

 

多くの人が将来最終的に就職する以上は、大学受験は将来に関わる大きな出来事であることは間違いないでしょう。

 

行く大学のランクが一つ違えば、就職を見込める企業のランクも一つ違うと思って差し支えありません。

新卒で就職のランクが違えば、その後のキャリアにも関わりますし、そうなれば当然収入にも関わります。

 

受験生にとって受験が特別な物と認識されるのは当然のことです。

 

しかし、将来のキャリアに関わる出来事が受験だけだと考えるのは間違いです。

スポーツや音楽のような他分野でも、受験に該当するような何か一つの出来事が将来のキャリアに関わる事はたくさんあります。

 

例えば、世に広く認知されている甲子園。

甲子園に行くかどうかで、その後のキャリアに関わってきます。

プロになるかどうかだけでなく大学などの進路にも影響が出るからです。

 

このような仕組みはスポーツ全般、音楽や芸術の世界でも同様でしょう。

1つの出来事が将来のキャリアに影響を与えるというのは珍しい事ではありません。

 

何故こんな話をするかと言うと、受験がその後の人生を左右しかねない以上は相応の覚悟や努力が伴うってことを知っておいて欲しいからです。

 

将来を左右しかねない重要な位置付けとして重く受け止めて下さい。

それだけ重要な人生の分岐点としては、少ない労力で、公正で平等な判断を下して貰えるのが受験であるということを以下で説明していきます。

 

どれだけ努力した?

スポーツに人生かけてる人と同じくらい勉強に本気になったのか?
ポイント!

プロ野球目指してる人にとっての野球と同じくらい、勉強頑張ったって言えますか?
受験が残酷、才能の有無を口にするのはそれくらい頑張って初めて許されます。

 

あなたは今受験は残酷だと思っているかもしれません。

 

でも、どれだけ努力したんですか?

生活の全てを受験に費やしましたか?気が狂うくらい勉強しましたか?学力を向上させるためにもう絞れないくらいに頭を絞りましたか?

 

受験は残酷だと思っている受験生の大半が、恐らくここまではやっていないでしょう。

別に勉強時間が全てとは思っていないし、個人的には寧ろ逆です。

要は、本当に残酷と言えるほど頑張ったの?ってことです。

 

先述の通り、あなたが将来サラリーマンやるなら受験は将来を左右しかねないイベントの一つです。

その将来を左右しかねないという意味では、スポーツでも音楽のような他分野でも同様なことが言えるはずです。

 

スポーツでも音楽のような他分野では、その将来を左右しかねない一瞬のために高校三年間どころかもっと幼いころから恐らくはあなたの受験勉強よりも遥かに時間も労力も割いて努力を重ねています。

それでも思う様に行かない人の方が遥かに多いんです。

 

例えば本気で甲子園やプロ野球目指してる人たちなんて、小学校から野球漬けで特に高校ではまともに遊ぶ時間すらない人だって山ほどいます。

 

その人たちと同じ、それ以上に勉強頑張ってきたと胸を張って言えますか?

遊ぶ時間もないほどの生活を送ってきたと心の底から思えますか?

 

もしも少しでも躊躇が生まれるなら、受験が残酷という訳ではないでしょう。

才能どうこうというのは、胸を張って血の滲むような努力をしたと躊躇もなく言えるようになって初めて出てくるべき言葉です。

 

自分は全てを掛けるほどやっていないのに、報われなかったら残酷だなんて都合が良すぎるとは思いませんか?

 

努力がリターンとして見込める受験は恵まれている

幼少から人並み以上努力していても報われない世界はたくさんある
ポイント!

・スポーツみたいに体格や資質、不運なケガなどが原因で夢を断たれることがないだけ受験勉強は報われやすい方でしょう。

 

受験勉強は正しい努力をすればある程度リターンとして見込めるし、努力が全て不意になるということは極めて少なくて結果がでないなら限りなく自己責任です。

 

しかし、例えばスポーツだとどうでしょうか?

努力とリターンの不一致なんて珍しい事ではありません。

 

スポーツならば身体的な特徴による劣位、身体的劣位を補うセンスの有無、プレーや練習中に起きてしまった誰のせいとも言えない不慮のアクシデントなど本人の力ではコントロールできない要素が大きく絡んできてしまいます。

 

本人の意思でどうにもできない以上は、どれだけの情熱があっても、膨大な時間を費やし幼少から努力を積み重ねてきても、ある時突如として不意になってしまいます。

 

分かりやすいので野球で例えるなら、小学校から野球漬けでもプロはおろか甲子園にも行けないという人は沢山いる訳です。

しかもケガなんかで目標に挑戦することが許されない人もいるんですよ。

 

多くのスポーツ選手が努力以外の部分が原因で挫折を経験することでしょう。

 

その点、受験勉強はまだ報われやすいでしょう。

よっぽど先天的な資質が求められる受験を除けば、ある程度は努力に見合ったリターンが見込めるでしょう。

 

少なくとも小学校から高校卒業まで勉強漬けの生活、もしくはそれに相当する努力をしたならば、大半の人にとっては大きなリターンを結果として受け取ることができるはずです。

小学校~高校まで勉強漬けなら、仮に日本で一番偏差値が高くなることは難しいにしても、上位数%には入る事でしょう。

 

先天的資質や偶発的な事象に結果を大きく左右されないだけでも受験はかなり恵まれているはずです。

 

※根性論を押したい訳ではないので注意

さいごに

ここまでかなり根性論臭くなってしまいましたが、それは本意ではありません。

寧ろ根性論は好きじゃないタイプです。

 

しかし、伝えたかったのは受験は見返りは大きい割にはかなり報われやすいんだよということです。

もっと残酷な世界なんて腐るほどあることでしょう。

 

僕が慶應に入れたのも、受験が努力に見合ったリターンをくれるからです。

そして東大に行く学力が無かったのも、努力とリターンが一致するシステム故でしょう。東大に行くには圧倒的に積み重ねも勉強時間も足りなかったので極めて妥当です。

才能のせいにできるほどの努力もしていません。

 

良くも悪くも努力とリターンが大半の場合は一致するところが受験の良いポイントです。

 

もしも今あなたが受験を残酷と思っているなら、それは努力が足りていないことが大半だと断言できます。(努力とは勉強時間だけでなく、勉強法も含む)

 

受験を残酷と非難し他責にするのではなく、まずは自分を見つめ直してみて下さい。

 

※本気出そうぜ。

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※受験を残酷だと思わずに済むには戦略が不可欠って話。

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